論理的思考

2017-12-14:
私は‘ 夢見の実践と御検索いただきたい ’から‘ 夢見の実践というタイトルが在りますか? ’と( こちら向きに )換えた。私が私自身に一心に質問と繰り返すこと、意とコントロールする。

久しぶりにダッフルコート着用で自転車こいだら汗が出た。7時にA県図書館前に着いたら消灯だった。私は一昨日カレンダーに14日休館の印と視ていたのに( 通常通り第二木曜 )、なぜだか‘ 今日は金曜日 ’いう思い違いだった。また寒さにやられている?( しかし、同時に‘ 夢見の実践を一千年間固守したい ’という〔?〕遺跡のように遇った。)
私は心身の健全さと言う意味でも‘ うんどう ’が常に在ればいいと思う。私のモードを復活させたい。

私はK図書館に毎日いやな子どもたちの声を聞かされる度に‘ 夢見の実践 ’と私自身の夢実験のために実地テスト兼行で言えた筈だった。あのころT中央図書館もSW署員も“ ×態 ”側だったと私は思う( あのクレーム票は未だに採用されていない。私はこのサイト名もURLも通知してあるので、良心的には誰もこのページ宛にでも連絡の付けようがある )。私は認可されていないので未だどちらにも“ 何事も無かった ”かのように通うことはできない。これはかつての英会話A校にもFフィルムイメージングN事業所にも同じことだ( 今も私への弁済はいっぺんも行われていない。あの笑った子たちも私に日々の生活費用が無いので‘ うんどう ’自体に制限があると知っていなければならなかった )。
私は私自身に一度‘ 歴史を更える ’として〔?〕臨みたい。

2017-12-15:

朝方,寝床にいても指先が‘ 冷える ’ので、手袋着用しようと視たら、指5本に分かれているのでびっくりした。
私のおはなしでは‘ 今晩フォースの覚醒が放映されるというのは嘘だ ’という。私が映画自体に視ないという意味でならそうかもしれない。それよりも‘ ブータンが有機酸で爆売れして月の地下開発にもお金になる ’という不思議な話もあった。例の縦穴と溶岩チューブは40kmと20kmのその間で小さく繋がってはいるとも( たぶん人類があとで通り道を空けてしまう )。日本人がまた月面に一番乗りしたがったというので“ ×ナシマ博士 ”も連想されたり( いかにも洋人の日本人観という古臭いあれだったけれども )。

“ 体外離脱の方法 ”には、ロバートモンローのヘミシンクやらなにやらいろんな名称の手法があるというのだが、私はもう知らなかった( カルトっぽさを避けたりの常で、私自身も‘ 流派って? ’と言いたくなる )。

夕方、私は図書館のインターネット席に着いてダッフルコート裾ポケットに差してきた筈の私のボールペンが無いのと気付いた( 私はいつも更訂用メモには3色切り替えボールペンに拠る指示書き分けが必要なので、これが無いと私の修整予定が捗らない )。;

“ 夢見の記録 ”というワードで検索してみると、余命の判らない47才というひとのページが出たりするのだが、おそらく病状に関する繋ぎがメインなのか、夢記録だけに辿ろうとしても専用ボタン無いので分からなかった。ある夢に包丁持ったり人たちが切られるというような場面があったというので、私は単純に暴力性向なのかなと思った。しかし、例えば私の夢にも“ 路傍の笑う子たち ”が写しになってしまったように、そのひと自身よりも手術などからの問題ということかもしれない。
〔 私の第一目的は私の‘ 夢見の実践 ’なのだから、あの若い子たちの勝手な集団的妨害には勝手にしんでもらいたいという言い方もあった。仮に彼らがなにか一方的関わりがあるというなら私に弁償を寄越して私の生活不安を解消するのがそれらにとって理論的先決だとも言える。〕

もっと“ ドリーミング ”に徹してできるような記録集があればこちらからリンクしてみたい。
;ボールペンが道端に落ちたのなら、たぶん私の足膝がコート裾に当たりそれを垂直にポケットから押し出してしまうような瞬間にあったのだろう。私はいつもセーター上のV開き真ん中に差していたのでそれ自体が身体うんどうに拠り押し上げられたり外れたりということは先ず無かった。しかし、何処でそんなに漕いだのだろう? 私は“ 団地 ”と言ったのだが、‘ 団地の傍…? どこの団地? ’と訊いても応答無かった。私が覚えていなくても無意識・識域下にはいつどこでそれが落ちたのとその瞬間に知っている部分かも知れない。
私は来た通りに帰り道に辿ってみた( 私は普段ボールペンには私の名前綴りと貼り付けてあったし、私は何度かこうやって路上落とし物に見つけたので、きちんと記憶通りに辿って視ていけば問題は無い )。ただし、私が自動車道際に走ったりした所では( 私は逆走しないので )歩道側からの視認が難しければもう一度その行きの方向に視なければいけない。
私はN城-東側・OT通沿いに下りていった。“ T ”近い舗道上に不意にそのペンがみえた( その施設名称に馴染みが無いので、私はこのまえこちら側では“ トネリコ〔?〕”などと発音していた )。私はそのときにも( そのあとテレビ地上波-初放映“ フォース覚醒する ”視ているあいだにも )ぜんぜん考えなかったのだが、行きの道では私は市役所-交差点に向かって斜面に上がったので、ちょうどその地点で私の自転車上での体勢が傾斜向けになったのだろう。
フォース!と言えば、私からは‘ そのネーム付きのペンをみても拾わないでその路面に見えるよう置いておくように ’と言ってはいた。

2017-12-16:
私はもし‘ 夢 ’最中に体外離脱的な試みができたら?と思い点いた。私は一度も‘ ある夢 ’状況から別の夢見へと移ろうとしたことが無い。私はテレビ画面に見入るときにはその画面から敢えて私自身として‘ 離脱 ’しようとはしなかった。しかしこれも身体-依拠であり、“ 箱から開く ”という観念的イメージや幻像に依って‘ 夢見 ’に代えることができると?という質問は予め用意されていればいい。
・肉体自身ではなく、ひとつの‘ 夢の玉 ’自身,あるいは‘ 夢の光 ’がイメージしてみる。

不思議な、どこかに実際に在りそうな狭い住宅地の極端に細い路地という印象だった〔 そこでは私は見覚えがあり、不意に、ちょうど、ある昔の知り合いの宅前にいるのだという偽の観念のようだった。そこでの場面に因る順序がはっきりとしないので、仮に番号付けてみた 〕。
1.私の背後から白いワゴン車がどうやってか道路幅ぎりぎりに入って来た。それが私の横に擦りぬけるようにして来たその一瞬、突然その代わりに一頭の黒豚のように灰色がかった動物が跳び出して脇道とのすぐ向こう角で方向転換できなかったのか縁石のような部分にその背中がぶち当たった。
2.脇道に左への直角ひとつきりの路、その先は樹木等と地面に固められた町内公園のような所で、私はあの知り合いと2人でそこに歩いたことがあった〔 これも偽の記憶だった。この夢直後に私はその道順から簡単な地図を記せる程だと思って‘ これを次回に繋いでみよう ’と面白がった 〕。
3.私はその小さな一軒ずつの並びに面して塀などに幾つかの苗字等がみえた。そのひとつの玄関扉近くに半ば囲われたような部分に一巻きの工作用ビニールテープが置きっぱなしにされているのがみえた。私はそこに悪いような気がして離れようとした。
4.それらの正面に近い反対側路地に〔 これも狭い道ながらに 〕一軒その前面に大きめの木製看板にレストランかなにかの屋号と想われるロゴが掲げられたようにあった。

〔 無論のこと、このような‘ 探索 ’始め方は私の今回表題とは不本意なので、不問にして‘ この一点の光! ’一意としてみたい。 〕
[ 上記の夢記録は,その夢最中すべてに於いて私が“ これは夢だ ”という自覚を持ったという意味での自覚的な“明晰夢”内容ではない。]

○ このあと私があの路地のイメージに視ようとした処で、脇道との間( 道路沿い )に小さな地蔵像が遇った。その‘ 顔 ’に見覚えがあった。

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夜、“ 無意識の表れ ”という言い回しに反応が起きた。

2017-12-17:
常に、酔っぱらっている側-受け自体の正当化には分からない、本物が在る。私は今再び私として試すだろう。