注と抽 - 象形のイーグル

2017-11-06:
ただ単に寝るのではなく、私が意中‘ みる ’こと。

象形に単純化された白い鷲の両羽根を広げかけたものが祭壇に置かれているような形。

黒い襟付き婦人用コート薄い滑らか材質のものが壁に掛けられているような展示-形。

○ どちらにも私は‘ 夢だ ’と視たが( このあとの‘ 夢 ’には想い起こせない。 )わたしは意図も触れもしなかった。私の試みとして実験するのでなければ私の現在する意味にはならない。
寝る直前,久しぶりに“ タイシャ・エイブラー ”の名が上がったので私は‘ そういえば、あのタイトルには未だにきちんと読んでいなかった ’と想い直した( 先日その名義で図書館に探してみたが無かった )。私からはその著者へのイメージは無いのだが、カスタネダ呪術師の関連として“ オフ・ホワイトの鷲( 材質観としては石とクレイとの中間くらい )”といった象形的表れが?
“ 呪術 ”という語の問題としてみれば、むしろ“ ファッション・コート ”がそれだ( 肉体に拠らずに魅せようとする道具 )。
{ 性別本位な興味関心は‘ 夢見の実践 ’には妨害的要素だった。それらが外部に影響し遭って私への冒涜に変わっていたのだろうと私は推理した( 女子男子への問題. )}
祭壇または展示( クローゼット扉 )だという点、私が偶々それら2つに相応する表れとみなしたので記憶に残ったのだろう。

・私の試み,私の意み。
( 私の全部を‘ 夢だ ’にできれば、夢の素材に検索するも更新するの課題も自由いう機会があるだろう )。

晩-放映“ ショーシャンクの空に ”老人ブルックス( 鉄格子から鴉を放す )正装での最後は以前との記憶に遇った。そのシーンで私の右腰は卒然楽になった。

2017-11-07:
・エネルギーの浪費をやめて一点する( すべてはこの頭に在る )。
・私の実践的明晰夢( 夢はどう生成されるか )。

2017-11-08:
イメージを‘ 夢 ’のためにアンカーとするというやり方は、“ 体外離脱体験 ”に於ける‘ 振動感覚 ’や‘ ノイズ音 ’という手始めの方法と似ている。

始めの夜半,気温があるのか私は裸でいても寒くなかったので、なるべく両足-大腿だけ伸ばすように上記のやり方でみた。
“ ちょっとでも客観的特徴のことを耳にしたら、たちまちそれらは妄想に変わってしまう── ”例のグルジェフ的な台詞集ではそんなような言い回しだった( 今これをメモりながら、なぜか古い片面アーケード風の商店通りみたいな実写的絵がある。ひさしの支柱等は緑塗装で店舗シャッター閉まっている、夜に実際ありそうな光景なのだが、どうしてかその歩道の縁-外サイドからそちら部分に半分見上げたような見慣れないアングル。私が自転車で通った所ならM競技場から北方向に似た印象は遇ったが、自転車上からの視点とは違う )。
体に関して外観や神経の強張りという面倒は一切無いに限る。だから初心な才能の方が得だったので、一々案配が多岐に渡るのでは大変だ( -無論、観念的に働いてしまうことの問題は予め自己と解消されているべきだ。 )
カルロスカスタネダ風に言えば{ 白眉は,彼が語りに一度も“ 明晰夢 ”という語を用いなかったという点に在った }・夢見のために‘ 夢の身体 ’へと注意を移す。
‘ 体の意識 ’と‘ 私の注意 ’とを分けないで,一致させてみる。“ 振動 ”というよりは、やさしい。
和装で卓上になにか筆書きでもしている者のような姿。その“ ひと ”か何なのか、こちらに差し出された手のアップに手帳というよりはアコーディオン型のものひとつ。もらおうか,とこちらの掌に受け取るようにしてみたら数回小さな感電のような感覚。“ ピピッときたらそれに聞いてみなさい ”。なんだか分からない、体の感覚自体? 
‘ 感電 ’と言えば、私が日常的に“ 能動的想像 ”みたいなことやっていた頃に、私が“ 別のもの ”に対して私の“ 縞柄ヘビ( 魚 )”を向かわせた処でそれは青い電撃ショックに拠りやられてしまったという落ちが遇ったが、今思えばあれは私の本質との逆サイドから観たような印象だ。後年私自身が蛇使いなど必要としなかったから。

・物理的既成モノとの客観とは別に‘ 私の夢 ’自体に試す〔 左目と右目 〕。しかし物体に‘ 機能性 ’が併せ持たれていると( ポゼッション )これには思い至らない。