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ゴッド Pt.I

2017-09-29:
・私自身は路傍からの訴えがちな発声等には一切問題にできなかったので、私のおはなしでは“ あちら側 ”に言うという対処だった。私は今回これを転換し、“ あちらの先生が‘ 夢見の実践 ’というサイトを通して言っています ”と原理化しようとした。いわばキリスト本体がその研究生たちに語りかけるという2000年前のと同じ方式である( 私は“ 霊園の庭師 ”ではなかった )。

しかし今更そんなことにはお構い無しに、私の気は着実にアップしている。東山公園辺りの上り角度等に少々難しい点をクリアできればこの自転車が途中で止まりかけるという難度は段々低まる。

2017-09-30:
○ ( 一瞬イメージ ) 一本道がその先で上昇したような角度だったが、以前よりも急角度で、直角にみえる程だった。その前( こちら近い道路-片側 )倒木みたいなものが折れ掛かっていた。

・不意の外的事象に‘ これは夢だ ’と徹底する,毎時毎瞬。
・同時に視野以外の‘ 観念-的-生成物 ’を一切撤収する。
私の目を開いてみる度に‘ これは夢 ’と訓練する。

2017-10-01:
ねむらずに注意していようとする度に10才くらいにみえるきれいな女の子の顔だけがみえた。私はそのあいだ内心も無く沈黙したようだった。
○ 正円形-白縁とその内に左右分割された( 無色グレートーン )自動車-初心者レッテルを想わせる絵。なにかがそれについて‘ パンコテインのサインだ ’と言った。私はなにか特定の医薬品名を表示するための記号でもあるのかな?と思った。
私は私の記録にそれらと書き出してから今一度なにかの事務的な屋内通路みたいな所に歩きだしたような印象で、私の眼鏡を外そうとした処で不意にその上にもうひとつ見覚え無い極細眼鏡みたいなものがあるのと私の両手先に外してみた。私はそれをもう一度掛けるときに‘ ウルトラセブンの( 変身用 )眼鏡かな ’と言ってみた。

・二度と“ 自分自身 ”という他人写しの状況にはしない。
・“ 光景 ”に‘ 視る ’のではなく、すなわち私自身( 本体 )に向かう。空間認識や物・人への観念も棄てる。

〔 印象的な夜景に‘ 視ていた ’ときの私には光景-記憶そのものがゴッドだったのだと気が付いた。‘ 視ようとする,見入ること ’の対象がなんであろうとそれらは偶像化された“ 信心 ”の対象だった 〕。

2017-10-02:
夢:〔 ある団地か大きめのアパートメント通路出入口のような所,夜間? 私は気が付いたその瞬間には‘ 夢だ ’とわかっていたが、どうしてか一度も見覚え無いその形にその場では見覚え在るかのようだった。
私が動きだせばすぐに‘ 夢 ’は途切れるかもしれない。私はあたかもエレベーターから出てきてそこにいたかのようだ。私はその通路かロビーに近い出入口階段を薄暗い外側が見える先へと下りかけた。が、思い直して上がった処で振り返るようにみた。その右側から事務系スーツ姿の背の高い女ひとりがこちらに見下ろしながら歩いてもう一方の入り口へと入っていく。その向こう室内にはこちら向きに仏像のようなものがその両手を掌に合わせた例の形だが、その全体-暗い表面に前頭部-片側,前髪が垂れているというような浮き彫りなのが異例な形とみえて変な印象だ。その仏像との間かその室との出入口に重なるように薄茶色っぽいモザイク嵌め込みタイル張りに拠る西洋的デザインが浮かんで来る,そこに同時にその表面のように古い年代調に因る西洋文字体の列が幾つかあった〔 あるヨーロッパ風の壁面と筆写本にみられたようなスクロールの字体 〕。
私の傍に横顔に丸坊主の青白い僧侶のようにみえる者が近付いてなにかその床に伏せるというか倒れかかるような仕草だった。“ あなたがお坊さんなら、私に神とはなんなのか教えてくれませんか ”,そう話し掛けながら私の手を添えて下から振り返りみるようなその顔を視ようとすると、西洋の坊さんみたいに少しやつれたような肌色に茶色い毛髪と髭が疎らに生えている。
私は日本語では通じないのだろうかと英語っぽく“ Tell me, What is the God? ”と言った。寝かけたようなその顔,“ God? ”“ A God. ”と私は言い直してみた。日本語で“ 神…ですか… ”,少々困ったようなその顔。“ 来年の1月に、日本人の多くがしにます。そしてあなたと妹さんとが睡眠薬じさつを図ろうとします ”。
〔 不思議過ぎるからか‘ 夢 ’は途切れた。その“ 答え ”には私は( たとえに私一人称からの見方としても )まったく心当たり無かった。私は前夜どうしてか一度だけ私が聞き覚えのあった私の妹とその旦那との新婚旅行中に関する話に思いだした。そのふたりがルーブル美術館に寄ったのだが閉館時間間際でなにも殆んど観れなかったというように言っていた。しかしここでは関係無かった。
指摘等:
・この夢自体に構成と視れば、例えば“ 仏像 - 西洋風モザイク ”と、直後に現れた“ 僧侶 - 修道者 ”とのそれら絵としての変化は対応するものと捉えられる。( 仏像と言えば両手合わせではなく片手ずつなのだが、私は‘ 像 ’というものはどれも偶像だと思うので“ 仏-像 ”のようなと言ったのだろう。修道僧の毛が茶色っぽかったというのは、昔-あるミイラ写真にみての印象からかもしれない )。
・私が最初エレベーター用ホールにいたのか、それともエレベーターで下りたのか、先ず“ そこ ”が起点になったの理由が不明だ。私の意識として最初に‘ 見覚えある ’がその場に不思議にならなかったという点だ。〔 夢の場面には常に記憶との“ 綴り替え ”が働いているという見方ででは,‘ 夢 ’最中-その場に於いて真相を手繰らなければならない。
私は現在ここにこそ視覚的に確認が必要な‘ 診ようとする ’ときにはこれと自然-意識できる率を高めているが、ある場でのきっかけがわからない( 確認よりも先ず‘ 夢 ’光景自体に保とうとしたりでは,慌ててしまう )という状況に於いてもこれ自身として考えるだけの余裕または事前セットが必要だ 〕。

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・私-不意に“ 来るもの ”にも‘ 注-央 ’として適用する( 夢! どうする? )。
・‘ 夢 ’ぜんぶ吸収してみる。