上映の無い映画館

2017-08-31:
05:45,私は寝床にいて眠らずに考えごとをしていた。不意に普段私がケータイで用いているアラームの単音がそれ自体であるかのようにひとつだけ聞こえた( 普通そのアラームは手動操作が無い限り一定時間内に繰り返し鳴り続ける )。10:07にも; このときの‘ 音 ’は少し高めだった。

草などの微風に揺れる様,12:25。

イメージ( “ 世田谷一家事件 ”への試み ):
・小型( ビーチ用 )バギーのような乗り物。

2017-09-02:
両足-解放し、再充填する。

2017-09-03:
“ 私は‘ 夢見の実践 ’にとっての価値あるものだけを探す。”私はそうお唱えしながら2周目-N駅前に今度は私として人声を試しに来たが、土曜夜からの12時過ぎなのに大人以外の人影もほとんど無くまったくしんとしていた。

2017-09-04:
‘ 夢見の実践 ’との一致点( 私の両足,徹底する )。

あるいはこの私の両足が真に一致しておらず未だ不完全であることが街路の“ お笑い子たち ”原因かもしれなかった。
〔 ここからは“ アイドル化 ”要素を無くさなければならなかった( もし“ 彼女 ”が突きさし魔だったなら、生理的ベースとの要求-理解という“ お箸の使い方 ”は逆転していた )。
“ くん・ちゃん ”付けというやりかけの問題は解消され、清潔さのために“ お笑い ”は居なくなるだろう 〕。

イメージ:
・蛾というよりは花柄のようなもの。〔 私は前日テレビ予定表に見たタイトル“ 蛾人間モスマン ”が放映されているのだろうなと思った。でも‘ 視なくて良かった ’そうだ 〕。

2017-09-05:
午前中、洗濯機が空いていなかったので、私は時刻アラームを先延ばしにしつつ眠気の続く限りここにいた( 気が失われないように )。なるべく私自身に( 特に私の両足に )意を留めようとしていた。一度だけ、またあの単音アラームがあった。

それは初めは“ 上映開始時間の近い映画館内 ”だった。そこには通路だけで、劇場自体がどこなのか判らなかった。普通に入り組んだような( 無色-無人の )連絡通路を素早く左へ右へと見ていった。上階に上がろうとした途中に不意にらせん形-階段みたいなものがあった。( その白っぽいというよりは殆んど絵にならない感覚自体のように )その芯に両手で握るようにしながら駆け上がると私の両腕に私の体自体に依る遠心力と重みがあった。
通路の一方側スペースにカーテンの掛かった窓が幾つかみえたので、私は‘ 面白い光景にしてみよう ’と急ぎ近づいて私の両手でいっぺんにカーテンを寄せてみた。なんの特徴も無い事務的な建物等だけだった。光景自体にぜんぜん変えられないなんて、詰まらない! 

〔 動いて見に行こうというところから、私の身体-留意が‘ 夢 ’に一致した,能動性の起きた例だ。‘ 白いらせん階段 ’が私の意識的なモチーフというわけではないが、通路というものを保ちながら連絡性を早めるための効率的手段かもしれない。
私は昨日も日常の目に映るものの度に‘ 夢見の実践 ’と言おうとしていた( 一致的に )。しかし、これら‘ 日常の光景 ’は私の変えたいという要求に基づいてはおらず、私の‘ 身体自体 ’といったのと同じく依拠の対象であった。
これは‘ 夢 ’に目的が必要であったということを示している 〕。

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