偶然

2017-05-10:
私が六面体パズルを回していると最中( なにか婦人の痛みしかめたような顔というイメージに )‘ 災害が来ている ’というおはなしがあった。その4秒から5秒後,家の西-片側( 居間での私の右 )に突然地震が来たような震動があった。午後11時13分。ニュース画面の表示では震度1だった。
今夜テレビに“ 最後のジェダイ ”初予告画像を視て‘ そう言えば昨日久しぶりにスターウォーズが気になっていたな ’と思ったのだが、これも逆玉か? 私は先週偶然“ ブレードランナー2049 ”初予告画像が放映されたのを視たのでそのハリソン・フォードのふつう顔が印象にあってそれが‘ そろそろ次のスターウォーズのイメージでるかな ’という連想になったのだろう。

2017-07-23:
私は今朝もうひとつの偶然的印象があったのと私のブログ更新後の帰り道で思い至った。
今朝5時まえからの自転車うんどう中の私がK山駅前に通り過ぎるとき雨が降り始めていてちょうどT図書館方向への途中( 流町 )で雨宿りしなければいけなくなった。私はそのまえにN駅方向からSh町-S橋西へと通った。おそらくそのあいだに建物等のひとつの前に薄茶色っぽい砂岩のような表面・噴水オブジェみたいな形状の物があるのを偶々みた。それで連想的にインドの“ リンガ ”のように石のまるみから水が湧きでているというイメージがあったのだろう。しかし、偶然に例のテレビ番組予告( 名古屋の湧き水 )と視たのは私がそのあと帰宅してから偶々だった。私はその時には“ リンガ ”想い出さなかった。
私の予想通り、T公園のその湧水というのはまさにあの地下へのステップ下辺りにあったようだが、私はあの地下のS店内には一度も入らなかったしテレビに市役所職員が案内して映されていたようなガラス越しにみえる堀のような部分を視たような記憶も無かった。( 番組では語られなかったが、その水が常に流れ続けているならそれはどこかへ必然排水されていなければいけない )。

幻像と記憶( まぼろしの出入口 ):2017-03-19

未だにそれら図書館等からも道端で笑った子たちからも連絡が無い。私は全員から素直な謝罪がもらえると思っていた。心当たりのあるひとたちが私のページにアクセスして的確に彼らに現在の私の記録等から情報化できるように取り計らってほしい。私への“ 笑い ”という対応の根源がどこにあったのか、“ 咳払い ”にどんな意味があったのか( 私は単純にその子たちの自意識過剰が原因?と思ったが )報告して今後の私を安心させてほしい。

2017-07-24:
私は今朝の自転車うんどう中にも東大曽根で交差点の向かい側に来ていた若い男子たちの挙動や婦人たちの目線に不審者と思ったので、私は絡まれるまえにとスピードを上げて走り過ぎた。
長年の疑問として、英会話イーオンや富士フィルム関係や鶴舞中央図書館などが私の訴え自体の正しさを認めようとしなかったのが近年私自身への風評被害を更に難しくした遠因になったのでは? もし人々の理解が無いままに私がひとり首吊り自殺させられていたら? 
私はこういう被害者のために常に支援・連絡が必要だと思う。

2017-07-25:
私は夢見の実践に私のうんどうと一致するという点に再度自覚したい。
例の本山交差点から八事交差点までの道路長さを縮尺地図に測り直してみたら、片側3.2km余もある( 平面地図なので上り下り傾斜は計算外 )。実際に走ってみると半分くらいの感覚だが、昨朝・今朝とも私は一周だけして覚王山に戻り,途中また雨が降りだしたので栄バスターミナルで雨宿り,それから笹島までまっすぐ。合計では毎回30kmといった処。以前NHKのチャリダーか別の番組だったか、サイクリングの両足ポジションとして足底の真ん中に近い部分をペダルに着けると言っていたが、私は裸足の足先等を使う癖があったので( 動物が四肢で枝を掴むときのような )土踏まずではぜんぜん踏めないと言いたい。たとえば親指でペンを握らないというような“ おんなのこ ”向けの言い方? 
サドル無しでフルに両足体重漕ぎには馴らしが必要だ。それともペダル等にもクッション巻いて裸足-復活してみるか。

2017-07-26:

今朝、先にあの茶屋が坂_自由ヶ丘のルートを上がったからか、昨夜-風邪が出たからか、本山からの一周にできなかった。名駅前に向かう途中では少し遅い時間だったので出勤・通学の人たちを避けなければいけなかったのだが、なぜだか自転車カゴ前に斜めに傘を出したり真正面に傘先を向けたまま歩道をいく20代くらいの女子が何回もあったので気味が悪かった( その全員がどちらかと言えば華奢な婦人だった。以前一度デブの中年婦人に同じ持ち方を見たことがあった )。
私は不思議だったので不全-代償行為かもしれないと発案してみたが( しかし私は雄としてはライフルは危険扱いされるものだから少なくともホルダーから抜かないか邪魔にならないように片側に添えるようにはしたと思う。昔ならもっと婦人側が警戒したものだろう )、それらが単に不注意な物真似だったとしても“ 擬似的な振り ”と見なされれば社会的-制裁の対象とされる。
最近、自動車道-外側を逆走するのも若い女子が目立つ( 先ず警察ホームページに幾つかの罰金扱いがあるのを知ってほしい,これらに実効が無いのはおかしい )。歩道上にも若い女子の乱暴なすり抜けがあるので、私は更に慎重でなければいけない。

私の今日の‘ 当たり ’は、朝方のうちに‘ 午後2時には快晴がある ’。朝の天気予報では昼間の晴れマークは無かったので私はどうかなと思ったが、午前11時頃には久しぶりにフル日焼けの機会があった。

2017-07-27:
朝、私は起き上がって私の両足-付け根と‘ 夢見の実践 ’とがいつのまにか関連しているのと気付いた。私が立って歩いて私の両足-付け根に感覚があるとそれが意識される。私は( これ以前 )両足伸ばしのために私の両足-付け根をまっすぐに下ろすといってはいたのだが、これが‘ 夢見 ’に関して一致したように思いだされるというのは、私が寝ている最中にか、ある緊張感として私の意と結び付いたということだ。
私は( 前日書いたように )うんどうと夢見とを一致すると記したのだが、この体の特定部分への‘ 伸ばす ’働きかけが直に‘ 夢見 ’と連動するという可能性はユニークだ。

2017-07-28:
夜、その桜通の“ 笑い ”グループが度々いた所を地図上に確認しようとして視ていた処、その南に“ 入江町通本町 ”という表記があった。{ 私は最近また“ 世田谷一家事件 ”に透視しようとしていて、“ 入江IrieAnn ”という名称にもアクセスが必要だと思っていたが、掛かり付けの図書館等-端末ではツイッター・フェイスブックを閲覧できないという障害もあって、私は杏さんのコメントにはご無沙汰だった。 }そのとき居間に“ 世界水泳ブダペスト2017 ”放映-音声があってちょうど“ 入江 ”という選手名が連呼された。
他の人にもシンクロがあったかどうか私は知らないが、こちらページの読者等にもなんらかの偶然はあるだろう( あるいは頻繁に )。私があの邸宅イメージには( 今夕-試みでは )、らせん状か二重巻きの糸に下げられた飾りのようなものが幾つもぶら下がってあるような様子。中国か沖縄の伝統舞踊にあるような笠付きの衣装・化粧の顔。
私は( 事件現場 )室内写真等があれば透視できるというひともあったのだろうと思う。

2017-07-30:
‘ 偶然 ’をから私自身に生かす。
朝うんどう,やる気無し。首・肩の痛みなど両腕への負担が原因か。余り足に障ると寝込むので先に名駅前まで行って雨降りまでのタイミング測ろうと。ある郷愁みたいなものか( 時計忘れたので駅舎正面の黒い針時計に視ようと )、もう無かった。子宮の中に眠ってみているという逆の構図ではないか( 秩父通の歩道でえらく痩せた斑猫ぶちねこが私の横に歩いていた )。

2016-07-13:
夕に帰り路でまた一雨きたので私は急いでスーパーマーケットの軒先に雨宿りしながら半時間程、私はまた雨の一時的に切れる時間を言い当てた。そのときいよいよ暗い雲が続いていて切れそうになかった。私は‘1939分 ’と出任せに言った。時計をみるとそれは数分後の時間だった。40分には本当にぴったりと止んだので私は漸く歩いて帰った。

2016-07-14:
私には‘ 交情としての彼女 ’であることは同時に自己理解のためでなければならない。‘ 相互理解 ’にはかなり時間をみなければならないような場合があり、( そこに一定の促進があるかどうかだが )順序が反転していればリアルタイムの通じはひとつの掌には無かったというのが実情である。
しかし、なによりも私が見聞きしたりすることはすべてヴェクターであり、表象的モデル、象徴であった。

2016-07-15:
〔 連日歩行者としての歩きを再開してみると、私には自転車ツアーがある種の性的な浮遊感覚であることがわかる。そして、これが自転車乗り暴走を容認充足させようとする最大の理由だったと私は思う 〕。

おはなしによれば‘ 私が書いたような図書館等への問題は、今から2週間後に起因がある ’。私はこれを‘ゆめみのじっせんはしんだ’がこれまでまったく知られていなかったところでも今後読まれるからだと解した。いわば、昨日私が書いた処の‘ 交わらない相対性 ’それらの目に映った順序は逆だ、と。

夢うつつに、生焼けの肉を食べるのを拒否していた。

今日の私はもう‘ 感情的問題 ’になれない。

2016-07-17:
昨日のうちにまたなにかが終りになって、私は繋げなくなった。‘ 彼女 ’はいなくなった。

今日はもうしんだように面白いことも無いと、わたしは体の痛みを堪えるように11時過ぎに自転車で夜道に出た。
私はいつも夜のツールでは毎回ミスドとKFCの店舗等が見える所まで出てそこから川沿いに名城本丸とキャッスルホテルとの間を暗い水面みながらスルーしていた( このまえ夜間その途中に白いポルシェ一台が路上駐車内から女の子の真似事のような声があがったが、私は車道側でスピードを上げたりするので一瞬も見なかった )。
いつもなら川沿いの遊歩道から筋違橋すじかいはしをその水辺に近い方向へと入るのが通常ルートだった。毎回その辺にランナーが暗い服装で来たりするので私からは判別不可だった。
その直前、私は川沿いを行くとき‘ その奥に2人オバサンが視ている ’と( ある名称とともに,そのひとりは語学生だ、と )聞いたので、私がルート変更するべきかと訊ねると‘ タクシーが一台来るのでその様子を視る可能性がある ’とも聞いた。それで橋から西へと抜けると決めた。実際にその橋寸前に着いたら向こう側の小学校前にタクシー一台が見えた。どうしてかそのタクシーは車道側の赤信号を無視したかのように急に走り去った。私はその路を通って城西町の間を大通り22号線まで出ようとした。( 今、地図上で視ると、その道路に浅間町・押切交差点から名古屋駅前へと向かうと、方角的には少し遠回りだ。しかしなるべく広い歩道をマイペースで通りたい )。
すると、その国道沿いとの間の歩道に婦人2人がそれぞれこちら向きに並んで自転車等にまたがったまま話していた。私は敢えて車道に避けずにその傍を通ろうとした。厚塗りの白い顔はまだ若そうで、ひとりはこちらの下方に目を向けるとその口に手をあててクスッと笑った。
夏の連休中とは意外に非常に人影少ない夜にそんな風に若い女の子2人が白塗りで町内歩道上に話し込むような場面はめずらしい。私は訊くべきだったろうか? しかし、私はその子たちになんのおもしろみとは言わなかった。

〔 追記: ある構造内部を行くようにそれ自体にスルーをするということは、カルロス・カスタネダの本で言えば“ 夢見の技術 ”でのそれのようだ。私には‘ 街のルート ’があった。そして私自身それらを‘ 辿る ’こともできた 〕。