月の光

2017-06-23:
夜、自転車最中,わたしの眼になにか付いたのかわたしの視界に街灯が不意に白っぽくぼやけてみえた。そのときわたしはその一瞬の映像に拠って昔の記憶が連想されたかのように、“ クリンビュー ”テレビCMの自動車ガラス越しに曇ってみえる夜景のような部分があったのを( おそらく35年以上ぶりに )その女声の歌“ クリーンビューで~ ”の印象とあった〔 追記: あとでもう一度辿ってみようとした処,その歌の節回しは少し違っていた。以前“ バーモントカレー ”のコマーシャルに関しても,歌と映像に関して,私-自身との合成があったのだろう。 〕昔テレビ番組の間にみたその正確な記憶があるのだろう。

2017-06-26:
午前中には普通-夢だけだった。
私は一旦起き出てから再び寝床に‘ 夢見の実践 ’といいながらだった。一度だけ、月の夜空にみえるような映像があった。それは光を反射する満月に近いが( 私が観察するに )その表面のあかるさにやや暗い部分は不規則なアスタリスク記号に連想されるような模様だった。

2017-06-28:
そんな不調に、またちょっと喪失したようなこの数日間だった。しかし、うんどうに消化されていた‘ 夢見 ’という機は、全く内なるものである。うんどうはあの‘ 彼女 ’と同時期にシフトされたので( 肉体は確実に強化されるが )私はこれを見直す必要があった。私は‘ 彼女 ’や他人という偶然のキャラクター等には( どれも自身の臭いだったが )本当の‘ 私 ’と言うことはできなかった。

ちょうど雨がちな週になったのと、自転車ツール後輪に不調( ホイールとその歪み )があって旧のバンド式ブレーキは使用不可になった。
車輪の中心軸-両側の固定部品等はネジで付けられてあって通常それらは内側の回転に際して滑るように留められてあるのだが、一方のそれが車輪回転方向に巻かれるのかどうしてもその内側に引き込まれてしまう。これが最悪の場合には( 走行最中に )車輪自体が固定してしまう。私はこれでうっかり自動車レーンに走り続ければ突然死ぬおそれもあったというわけだ( このようなトラブルは例えばブレーキパッド取り付けがきちんとしていないような場合にも想定される )。
無論、そんなに部品等どうしが押さえつけられていれば動作には相当体力が要る( 昨日までに私が若干調整を試みた処、その部品はやはり巻き込まれるが一定の位置を保っていたので私はその抵抗にも‘ 脚力 ’目的といって一応スピード無しに例の本山Motoyama八事Yagotoとの間を上り下りしてみた。これに拠り私の内股は若干滑らか化された )。
私が以前付けた後輪-補助( キャリパー )強化ブレーキは今に至っても充分なので私はバンド式を取り外した。
おそらく私がその後輪チューブの空気圧を以前よりも高くしたが為に路面段差での衝撃が増したのが原因と推察される。私がこのまえ書いたように先ず人体-頸などへの衝撃が増すことの問題は無視されてはいけない。( タイヤ自体には濡れ舗道や施設敷地内ブロック型タイル面へのスリップ危険度,これは横断際の歩行者には深刻な巻き込み事故となる )歩道と言うのは元来スピード乗り自転車用ではないので落ち着いて歩行者くらいのつもりで移動できるだけの人向けである( 自転車にも乗り手の体にも負担にならない動かし方でなら、安全も高まる )。

小雨のあいだに自転車うんどう再開( 車輪自体の左右位置が調整されるとブレーキの一部分が擦れるので様子見,そのシューズ自体にも調整が必要だろう )。出掛けにどこからか動物-腐敗臭のような臭いがあった。

例の東大曽根交差点付近に若い通行者たちが歩いて( 私は以前の例で )依然なにか私に笑いにしたがるグループ者がいるかもしれない,しかしその観念自体は私からのもので、彼らがそれかどうかは関係無い。私はその一瞬その内的‘ 反転 ’自体私の身体に呼吸するように回収した。
私は晩の錦通などでは‘ 気( チー )吸うたろか ’と半ば冗談のように言いかけるということはあったが、私自身-転換するという方法はそれ以前の自己-回収-生活であった。( ここでは‘ 私の ’と述べている )人というキャップの無いときには現象がある。

帰路にまた雨降りだした。ある横断歩道際に中途半端にミンチ状のなんだか分からない動物の遺体痕があった。そう言えば先日も、雷雨の夜だったか、車道際に猫の半分轢かれて間もないような遺骸があった。動物は雨の夜に路上に跳び出したりするものだろうか? 私にそんな不注意の一瞬が無ければ。