夜空の星,影?

2017-05-08:
私は眼鏡を掛けたくなかった。私は‘ それが無理に視力矯正するので肉体的疲労の一因なのだろう ’と思っていた。しかし眼鏡自体というよりは眼鏡越しの視界そのものが観念的ものとして働いていたので,私が眼鏡を使うのではなくその眼鏡-視力に私を使役させられるという面だ。
観念的ものは夜道では‘ 前方に横切る影 ’だったかもしれないし寝床では‘ 彼女 ’だったかもしれない。しかし私は作り事がいやになった。

私はまた両足自体を意にしようとした。これには沈黙という効果もある( なにかと身体に‘ 対立 ’があるというようなことは好ましくない )。

2017-05-09:
町の夜空( 水平に近く少し雲がかかっているような ),星というよりはUFOかなにかのようにややその両横にその光が広い、それが素早く左方向に上下しながら動いたが,急にその空中に円を描いたように一回転した。私の辺りには同時に〔 私自身のものたちのように、何人か 〕注目していた。私は夜空のその右に飛行しているもののなにかをみるとそれは白いが最も単純な紙飛行機の型だった。私が視るうちにそれは接近して新聞紙だと判った。
私は( ものたちのみている前で )私の両手を差し広げるようにしてその新聞紙ひと束の開くのに合わせてその両端をそっと捉えた。その右ページ下部には広告欄のような4つ5つ程の枠線等による囲みがあった( その右から2番目の升目にだけ“ 協和発酵 ”という縦書きの名称が浮かんだが )、それらにはなにも見えなかった。

〔 私の自転車後4時過ぎに,寝床で‘ 今一度“ 夢 ”の始まりを視てやろう ’としていた。それ直後には記憶無しだが,その効果かもしれない。
私の自転車うんどうには‘ 私は移動しているのではなく例えばアインシュタインの光自体としての光速といったようなあれのように,この一点にのみ存在し得るのだ ’と言いたい。ここにひとついられれば、なんの不幸がある? 
しかし、あれが夜空をやってきてニュースの振りというのはおかしい。“ 協和発酵 ”は私が偶然目にしたテレビ広告か,昨日偶々テレビ画面に映った株価表示等のなにかかもしれないが、私が酢の物を飲食するのでそれらが身体的に協調する食物等という意味で“ 発酵 ”というワードと関連したという推理も無くはない。
この朝どの時点での記憶か( なんのきっかけだったか )はっきりとしないが、私の両目を閉じているときに右から左へと急に薄暗い影のようなものが動いたような一瞬の印象があった。その直後,それが先日の( 3日付‘ 回収作業 ’ )あの‘ 道路上の影 ’とは逆に左側へと動いたという点に,私は‘ あのとき路をよぎったものが引き返ったのでは ’という連想を持った 〕。

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