回収作業 ( 影,錯覚 )

2017-05-01:
私の動かしたかった体-右側の特定の筋を( この右足の指々を曲げ伸ばししながら )通用させてみた。これらは同期可能だろう。

寝床に両目を閉じてまもなく一瞬また白っぽい微光のようなもの( 今度は真ん中に小さく正方形? )。

2017-05-02:
私は先程“ バタースカッチ・キャンディー ”の袋から1個ずつを私の手に取ろうとしたのだが、( 一昨日私がメントールのドロップ等その同じ袋にまとめておいたのを )偶然取り出した。私は私の手に触れたそのメントール1個包装をみて一瞬そのメントールの風が吹いたような感覚を覚えた。無論、それらは個別包装されていたので私は私の舌にそれを感じたというわけではなく、記憶が再生されたのだろう。
そう言えば、私が売り場で別のキャンディーを買うまえにも一度“ ミルク・キャンディー ”1袋を私の手に取った,その一瞬その匂いがあった。私は私の鼻に近付けて嗅いでみたのだが、私の手に触れたときのそれ一度きりだった。私は何年もまえにそれを口にしておいしいとよろこんだのだろう。

近づく影
夕方過ぎに後輪タイヤ修理後への試しに自転車で少し出た。N駅前付近,Ko山( 緩やかで角度的には上がり易い斜面があるので慣らしにはいい ),Hw公園口から園内の間を北へと少しずつ上がっていくという先日通りの道だった( 前回どうしてかHw公園北の西側で途中に間違えたようで見慣れないぎちぎち墓地の傍を通った。あとで地図上にはKo山霊園だったようだが、Hヶ池通1( 30号線との接点 )付近にその古い地図には無い自動車用の照明付き渡し道路みたいなものが付いていて私もそこを通った )。
私はSd橋交差点に停止したときにその自動車道沿いでの背後になにか来ているような( 一瞬影が差したような )気がしたので後続自転車かと振り向いてみたが、いなかった。その次のDk1丁目交差点でもまたなにか来ているようだったので私は振り向いてみたが、いなかった。
私は私自身に霊園のなにかに‘ 路を横切られる ’とは思わないが、私の関知できない霊的創作があるかもしれない。
( 影と言えば、このまえ私がHs通をYs通交差点へと向かっているあいだに一瞬その道路上に不意に薄暗い影の横切るような動きにみえた。しかしその2回目にも同じ場所でそうみえたので、私は路面そこだけが比較的に暗い舗装面部分であるのを視てそれが他の灯りなどとのなにかの条件で偶々錯覚の原因になったのだろうと思った )。

そのあと私は東Oz交差点で,私の両輪に付けてあったLEDライト青の後輪側だけがいつのまにか点いていなかったのを視て‘ 霊園内で消えたのだろうか ’。それから帰着まで私の手で何度かその点灯ボタンを押してはまた消えるの繰り返しだった。
それはダイソーで216円で売られているアームバンド用の物なのだが、もしその内部そのものが壊れたのでないなら電池等-接点に問題がある{ ダイソー販売の108円-LEDライト等にはこの通電部品等“ 接点不良 ”原因で使用中-不点灯になってしまうのが多かったので、私はその度にパーツ分解しては通電部分などが衝撃で一々外れたりしないようにと付け直していた。それらがいくらコスト安で造りが単純だったとしてももう少し元から改良できそうだとは思う }。
私は自転車に取り付ける用のそれらには予め雨水が直接染み込まないようにとセロハンテープ等で目張りをしてあった。以前のズーム付きLEDライトにはこれが不完全で雨降り時に私自身濡れながらだったがあとで中身が少し錆びていたような物もあった,それも修繕次第では切れずに点灯していた。

そのアームバンドLEDを点け直して私の指先でそれ自体を弾くように叩くと消灯する。本体への衝撃で通電-自動オフになる? 私はその電池蓋を外してボタン型電池との押さえである金属( 通電部品 )を少しバネになるようにと押し込んで更にそれ自体を少し厚みのあるフォイルに挟んで電池等を入れ直してみた。この点灯オフの原因はその“ 接点不良 ”だけだったようで、私が叩いてももう自動-消灯しなかった。

2017-05-03:
久しぶりに地図上に橋の形を視たとき‘ 私には橋を渡るということは誕生の意味だ ’。だからこれは必然的にもう一方を意味する。

2017-05-05:
眠ってしまったのか、夢にも憶えてはいなかった。

今日はこどもの日。右半身の第2関節と薬指をきたえる。お豆腐からパウンドケーキの匂い。一本の直立する導管を成すために。陽射しと私自身の回収できていなかったイメージを( 今 )呼吸するように食う。

私が寝床で一致しようとしていると路上での光景に似た昼間-光景イメージ一瞬それだけ( 私が見ようとする度に,数回 )だった。

先月以来,筋力が衰えたかのように両足自体の迫力が無くなっている。( 昔ならば6時間トイレを忘れているのは当たり前だったが )持たなくなっている。今朝も数時間-自転車のあいだにまた持たなくなったので、街での走行にも自転車ごと入れるような簡単な公衆便所があればいいと思う。

夢の不可解なイメージ:
普通に100円ショップかスーパーマーケットの清算レジを通るような場面で、カゴに沢山なにかがあったが、円い銅板のようなものが重ね並べられてあり( 直径20cmくらい,あたかも硬貨等のもう表面も見えない程に磨り減ったといったように )わずかにロシア語の文字等-痕跡と思われるがその表面-円周に連なっていた、その傍には半透明に白っぽい電灯用プラスティック笠みたいな湾曲-形だが( それらが廃品かなにかのように互いに4分されたような )半端のもの等が一緒にあった。
そのレジ直後〔 カゴに円板等を指先で数えるようにしてみると7枚から8枚程だった。わたしはそれらをお釣りとしてそこに受け取ったのだからと 〕これらはきちんとした判別可能な硬貨でなければ使えない、返そう。

昨夜、わたしはS通とN駅前との間を何度か回るあいだに、N町の方から一見普通の男が横断歩道を歩いてきたが自転車レーンのすぐ側でその一緒に来た方の女に‘ 私はこっち方向で ’と帰りかけたような言葉だったのに女の方はあかるい口調なのか‘ いや、ぜんぜん大丈夫ですよ ’と昔のわたしには逆転したような話し方で、私は彼らの顔も見れなかったで青信号で走りだすとき車道沿いガードレールの点滅LEDサインに私のミラーを当ててしまった。
連休中には私は安全な街路だけを通りたかった。その帰りに私が極めてゆっくりと徐行したのは自転車最中に久しぶりに疲労-眠気があったからだが、私はあの意味を考え付かなかった。彼らがではなく、私がなにを分からなかったか。

2017-05-06:
夜間の視覚的-見通しの無さではあるだろうが、私がうろうろできないので直進できるルートでS町付近に帰着したいという安心感ほしさだった。
{ しかし私が自転車最中‘ 迷ったらいかんよ! ’と言われなかったのは、一度も‘ わたしは迷いたくない ’という言い方も無かったからだろう。}

2017-05-07:
私は今朝も‘ 夢に失敗しなかった ’と思うが、さりとて私の記憶にも残らなかった。