睡眠を断る?|体の力-感覚

2017-04-13:
私はこの数日のあいだに私の両足部分に私の注意を移して置こうとすると‘ まともだったのときの( 騒がない )私 ’であるとすぐに安心した。

2017-04-15:
左膝が少し痛んだが私は普通に自転車で先頭速度に上げようとした。ある半身ねじりの最中にその上部の左-臀部にこむら返りのような痛み。
夏に体が動きつつある,私の気を弄しない。

2017-04-16:
私は睡眠夢を断るがために私の上半身を起こして私の両足に意をおく。

腹筋の形が左右対称になってきた。両足が揃うときには自転車にも王道がある。後輪タイヤが磨り減って穴が空きかけている。今しばらく買い換えができない。{ 私はゴムチューブに使い古しのゴムチューブを切り開いてカヴァーにしていたので即パンクは無かった。いわゆる“ 肉厚チューブ ”くらいの持ちはあるだろう。
タイヤ外皮・チューブを長持ちさせるには空気圧をいつも高めにしておく。これが足りないと逆に損壊率が44回になる。“ 重ね着でのうんどうは破損の原因です ”とは言っていたが、おそらく中身が張っていなかったりその二重の隙間に擦れや圧迫が生じたりする }私は取り敢えず内張りをした。
ブレーキ等が一瞬きつ過ぎると車輪が固定されたままタイヤが路面に削れる。そもそも急停止を必要とするような乗り方! 私は急ブレーキをしなくても制限速度だけで止まれるように加減の配分をコントロールしたり、歩行者-横切りが想定されるような状況での加速をしない。

風呂に浸かったのに、どうして体に寒気がある。

2017-04-18:
私の第一目的。

昼間、大曽根の歩道で歩行者たちを安全に歩き行かせるために私が普段のように自転車をその歩道縁に寄せて止まった瞬間( 私は歩道上では決して歩行者ぎりぎりに避けたりするような蛇行走行をしない )、その女子たちのひとりがなにかケラケラ笑ったが、私は自主規制の問題だけで、もうなにも引っ掛からなかった。私は“ 街 ”という自分自身への感情を棄てたのだ。私が他人に対して安全を冒すことは余程きけんだ。
夕方の帰路には夜空も無いかのように私は( あの通り慣れたかつての道にも )しんとしていた。私にはもう挑発も各へいきも夜空も存在しないのだった。

六面体パズル,“ 入り組んだ路地に迷った ”というのと同じで、いまだに1時間内に読み解けない。そんな“ 時間 ”に囚われつつ、これまでの‘ 夢 ’表現にも解読できなかったように、まだまだ冷静が至らない。私は‘ 私 ’を超えるか。

2017-07-08:

(1) “ 精を陽気に変える ”という言い回し。私自身-太陽であれば他の日差しに照応する必要は無い。
以前の“ 異性化 ”はそれ自体に保全の要求とするので対称の‘ この方 ’を必然としたのだが、私にとって‘ 彼女 ’は利用であり、私自身を食べるという作意だった。
〔 私は精神的-対応よりも心理-説を復活する 〕。

例の後輪-軸の方に( もう部品自体に触りようが無いので )cure5-56を注してみた。鳴らなくなった。その軸と車輪自体の触れて回転する筒型( やや歪んでしまった部分 )とに摩擦があったのだろうか。その外側のチェーンが掛かる部品もやや斜めに傾いでいるからか、たぶん角度に無理があるのでペダル押しの度に壊れかけたような音がある。
サドルと支えを外して私の両足立ちで山中交差点までは行ってみた。これで傾斜を上がるのはサドルがあるときよりも自立的な動作を必要とするので難しい。私はあきらめて飯田街道の方を通って広小路通り_栄と出た。両足でずっとこの体重を支えていると裸足の両足底が痛くて堪えられなくなった。黒川付近で降りて歩いた。

‘ 夢 ’も無いまま、サドル無し自転車で夜中に名古屋駅前方向へ( 以前と体勢が違うのであの連続上り下りには自信が無い )。昨夜の裸足が痛かったのでサンダル着用、私は両足先の内側が擦れるくらいにペダル等ハンドルに寄せるので履き物があると動かしにくい。従来の“ 裸足は危険,制服は安全 ”という不自由はそれこそだった。
そう言えば私は先週“ ナオミ・オオサカ選手 ”の試合等に視ていて一見ガッツの無い仕草にしてその選手振りとの不釣り合いな印象だった。私はその度どうしてかバルトリ選手のあの決勝でのマシーンのような素振りが想い出されて神妙であった。
63号線,柳橋_Sakae,桜通大津_泥江町Hijiecho,その2kmちょっとを2周と半分で帰ろうとしたが、やはり大津通-名城に下りる辺りでこの両足底に再び疲労感のようなものが。サンダル履きでも休憩無しには20kmが限界か? 

(2) 午後、室に体を寝かせているあいだに“ 世田谷一家事件 ”に絵を試みた。即、旅客機の翼下にあるような白いエンジン部分( 回転用ファンが密でそれらの隙間が見えない )。

〔 そう言えば、その事件被害者・奥さんの姉の簡単な回想本に,朝その隣家の母が隣の娘が連絡つかないので直接様子を見にいって第一発見者となったと書かれてあった。そのあとその隣から戻ってきた母が言うという場面に私はその顔のイメージを持ったのだが、私はあとで“ 報道の日 2015 ”というテレビ番組にそのひとの眼鏡姿アップ写真一枚が映されたのを初めて視て‘ ああ、この顔だ,見覚えがある。’
安直に言えるようなことではなかったので、私はそれについては以前のファイルには書かなかったと憶う。 〕

体のちから-感覚と一致してみる。

2017-07-11:
(1) 自転車うんどう最中,錦通からの名駅前近くで、女子2人歩きのひとりがどうしてか私の傍を通る時にわざと低い咳払いをしたようだった。私は通行者たちに無関心だし、なにか勝手な間違い由来の対象にされていたと想うといやな気がした( 私は明るめの大通り等をルート設定しただけで、ひとりランニングに人通りは無関係だ )。
昨年来、北図書館や東図書館の女子従業員たちにもお客たちのいる前でのそういう即-悪寒にさせられるような態度があった。仮にそれらの咳払いが故意なら、路上の人が足下にいきなり唾を吐かれたのと同じだ。もしその従業員たちが別のソースから影響されたのだとしても、そのような振りを解消できないのでは施設関係者として失格では? 

今朝、サドル無しで栄_名駅前付近との間を5周程,連続-長さを延ばすことには成功した。

(2) 最近毎晩のように路上でパトカーの巡査たちになんか止められる。裸足なのは? 前カゴは? 改造車? 私にはどれも的外れな言葉ばかり。どうしていつも無害な先生にばかり聞くのに他の不注意な自転車乗りや私に変な引っ掛け態度をするような若い子たちを見過ごそうとする? 私は型だけの職務なら公費の無駄だと思う。‘ ひとりランニングのこういう者です ’と私のうんどう日記もなにも予め警察署に登録しておけたらいいのに( 元々私がルート等を一々公開しているのは夜間-不審者情報との混同を避ける為でもある )。それともまた‘ ゆめみのじっせん@ ’看板が必要だろうか。

2017-07-12:
私は私が目にしたものへの観念を一瞬にして呼吸するように私自身を回収できると気が着いた。私は私自身にこれらを対立させない。‘ 気 ’専科のひとは他人のそれを吸うという言い方をしたようだが、私は基本的にはそれはまやかしだと思った。私自身との分離こそお仕舞いの状態だ、私がひとつ完全復活しているときにだけ本当に‘ 先-生 ’がある。

以下,原題: 自由決定 〔 修正 〕

2017-07-17:
夜,“ イントゥネス・ダーク・スタートレック ”放映がある。私は視聴とともに‘ これは夢だ ’きっかけ意図すると決めた。私はこの映画は初めてなので、私が私よりもお話自体に分散していればこれを意に掛けるのは難しいだろう。
・体の感覚-注意が起これば私は同時にこれを唱える。
..酒場のグラス・氷に酒が注がれた場面で、ホィスキーの匂いがあった。私はそこで‘ 夢見の実践 ’おもいだした。ある欲求( またはその具体性 )が誘因となる? 酒の味は本物-記憶だったから、想起のきっかけになりやすいのか( 私の手がここに在るのと同じ? )。しかし、記憶参照と具体性というなら、私にはもう‘ 夢 ’自体が重要ではなかった。通常‘ 夢 ’が回想される度に、夢見が意図される。

2017-07-18:
午後、私のおはなし側に例の“ 路傍-笑い ”そっくりのものがあった。すると、その1分以内に家の片側の路にここ最近には珍しくあのいやらしい笑い声を上げながら行く若い男のような声が一度だけあった。私は偶然とは思わなかった。もしそれが私自身からの関知できない部分の発信に依るようなら、私にとってそれはこれ以前に書いたように回収可能の領域だ。しかし、もしそれが別の単独または複数ベクトルに依るなら順序は逆で事件性がある。〔 :参照記録,
・少年たちと反応?( 黒い馬と母,2017-04-02 ),
・以前の私日記から削除してあった部分,2017-03-13;
{ このまえ夜中“ 公園でXジャパンかだれかの歌が聴こえたのだが病院の末期患者に歌っている本人だった ”という変なおはなしの後、私が港からの帰りルートで不意に反対側歩道に男子2人乗り自転車のひとりが“ メモリー ”というその有名な歌のサビ部分によく似た大声を繰り返しながら行くのを偶々聴いた。私はそんなことでは別におもしろいとも思わなかった。私が発信源なら他からそれ聞いても無意味だった。 }
咳払い者たち( 東図書館の受付係員たちがブルーだったのか一斉にあれをやり始めた時,私が通わなくなったのはどうしてかそこのインターネット端末がJimdoポータルに繋がらなくなったからだが )、いずれも自主回収ができないなら周りの人にとってもそのような環境的問題がある。
〔 沿道に声で囃したりショッカーのような音を上げたり拍手の物真似をするような者たちは、彼らが知っていようといまいと余計に“ 霊 ”を呼び集めているも同然で、絶対に良くない 〕。

2017-07-19:
北から南という涼しい通り,今朝には妙な通行者もいなくて爽快だった。これは私が自転車うんどう最中に一度も邪魔をしなかったという、滅多なことだ。

2017-07-21:

私の足はまた純真に伸びなければならない。
今朝のストレッチうんどう・
先ず体を寝かせて両足先までをまっすぐ楽にする。片足膝を起こして、そこにもう一方の片側くるぶしの下を合わせるようにしてその足自体で少し下に押してみる。軽く腰が上がる程度に。
両腕にも同じようにこれら元関節に及ばせる。

早朝うんどう,私は自転車最中に‘ 私は吐き出すのではなく、空気流入口( エア・インテーク )つくる,両足自体でいく ’。

サドル無しで20km越えには限界があるかと思っていたが、今朝にはガーデン埠頭まで行った( 行き戻り合計で31km~32km程 )。
今朝の路上には男子の方が大人しい印象とみえた。女子側に“ 笑い ”があるのは私に世間的になにか言おうとしているという領域があったからかもしれないが、私にはそれは私の個人的安全のためにグループ単位の子どもっぽい反応を永久にやめさせるという意味合いだけだった。
また、私が偶然バス停バスからの乗り降りに差し掛かれば私の自転車側として一々停止して歩道上の安全が視認できるまで歩行者たちによぎらないという独自規定を持っているが、東海通のアピタ傍では私がこうしているあいだに集団“ 笑い ”にするような( バス乗客 )女子中学生グループもまだいた。私は私の完全な自由・安全のためなので、むしろその人たちの危険は回避されている。

2017-07-23:
私は‘ 夢見の実践 ’の先生ですと正当に言えなければいけない。しかし、たとえばなしが無いというのは、夢にとってのキャラクター性が存在しないという、本当のひとりである。内包のものが存在感として誰々あるいはこれあれと関連付けられるようなオート状態は、ひとりには障害だ。
私にはずっと“母親”“父親”というものがあったが、私のその長年のあいだの自動的感覚を入れ替えてみたりそれらを消したりするという操作もできなくはないと思った。それらは単に外界に対応させられてきただけのまぼろしで、私はその人物などは知り得ないからだ。私がこれらを呼ぶなら慎重でなければいけなかった。他人はむしろこれらそれらを“外観”とみなしたに違いないからだ。( 他人の前に“ふん!”をするこそそれであって、“明晰夢”のひとがそのうちウンコ呼ばわりになる一因でもあった. )
私が‘ 先生 ’と認証させようとした時にさえが彼は“~ちゃん”と呼んでいた。私が先ず消すべきだったのは、こちらの擬似キャラクター性(子)だった。

東海テレビ・午後0時~“ 名古屋の湧水事情 ”として( 予告映像に鶴舞中央図書館の外観がやけに新しそうに写っていた,例のあの“ 幻覚 ”の辺りに水の跡があるのか? )前回話題との関連でシンクロがあるかもしれないので一応チェックしてみる。
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幻像と記憶( まぼろしの出入口 ) :2017-03-19
-(2) 偶然的心象 ;2017-07-23