幻像と記憶

2017-03-19:
〔 そう言えば、私が鶴舞つるま中央図書館に再びクレーム票を出し始めていた昨年の頃、その公園内通路の図書館東側に別の古い従業員出入口のようなコンクリート庇と薄いカーテン付きドアがあったのを視たと記憶していた。後日その場所に再び視ようとしたら、植え込み等の間にその建物との間隔地下へと下りていくためのステップと思われるものが封鎖されてあるきりだった。
私は滅多に場所的の幻覚みたいなものは無かったので、どうしてそんな記憶があったのかと不思議だ。私がその図書館に通ったのは2002年以降だったので、その辺にそんな古い造りを視たような憶えも無かった。案外はっきりとした実在的イメージと思われたので、睡眠夢のようなものだったかもしれない 〕。,
後日偶然の心象( 石と湧水 ):2017-07-23
これら現象についての簡単な後日言及 :05,12-2017

[ その“在り得ない”印象は(私の心象としては)一瞬にできたものだ。あとで夢にみたものや過去にその辺にみたようなものからではなかった。いつのまに挿入されそのような形であったのか? ]

[ 追記:2023-07-12, 上の記録と同じ日付の直前に( この日記では非表示だったが,自転車うんどうルートとして )私が夜中にKy図書館という初めての箇所を視に行ったことが書かれてあった。そこには“ ..昭和40年代に幼稚園か町医院にみたような外観 ”と書いていた。もしこれが上記“ 幻覚 ”の前夜であったとしたら,私は必ずそのように記しただろう。だが,これは時制の異なる,この記録上に於いての偶然か一致だったのである。]

単純に言うなら,( 私が夜間うんどうルート途中で偶々目にした,ある実在建物の出入口との古いデザインという印象が- )あの“ 不思議な(出入口)光景 ”についての記憶を自動連想的にか潜在的に喚起した? [ 上-追記分にも,記述当時の私はページ上その記録順番の表れ方だけを“ 偶然のイメージ ”とみたので,あの“ 記憶 ”の連関として明瞭に考えたわけではなかった。詰まり,あの“ 光景記憶 ”が憶い出されたのは,実際にそれの形を想わせるような造りを直前に視たのだが,それからの連想は自動的-潜在的だったので,私の日記したり読み返したりの時点では未だ無意識的だった,とも言える。
もしそのKy図書館の出入口が(それよりも過去の時点で,別の図書館傍に)私の“予視的なイメージ”として現れていたのなら.. といった投影説的な見方も,面白くはあるのだが.. ]

2017-03-17:
(1) 黒川( 堀川 )沿いの暗い車道に真っ黒い雪男のような影が動いていたが歩いているのか後ろ姿なのかも判然としないまま、私が通り過ぎると一瞬なにか低い声で言うのが聞こえたので途端に加速したが、途中また両足が動きたがらなかったのを私は強制加速できなかった。ひとりうんどうには他動的な原因は不純だ。

Sm通に線を換えて上がって行けばSd橋。その途中( これも上り下りの間 )前方に小さな陸橋型の渡しがあり、まだ朝陽が照らすには早い時間だったので完全に視認するにはやや暗かったのだが、一匹の猫か犬なにかわからない四足動物が歩道橋を左から右へと移動するかのように渡るのがみえた。その後にそっくりなもう一匹が走り出てきた。印象的にはどちらも薄黄土色っぽい毛に、長めの頭が一瞬別の動物のそれみたいにもみえる( 私はその場では‘ 狸か? ’と言ったが,整合性としては‘ 犬みたいだけど犬ではないかもしれない ’ )不思議だった。その瞬間ちょうど自動車数台が反対車線に上がってきたところで、その一台パトカーがちょうどそれらの真下を通った。
そう言えば、私はそのまえに本山交差点で一度“ キャットロード ”Nh通に入ってしまった。その入り口近くの歩道に女子2人がいたが( 私がその通りに入りかけた処で )そのひとりが声に出して“ わんわん ”と言ったようだった。
それも“ コミュニオン ”風に言えば符合といったわけで、‘ 夢( 欲-動 ) ’が否定されているような時には外的現象みえる。