路上という幻覚 | 私は追いつかれなかった。

焦と点 ( 後ろの正面 )
2016-12-22:

久しぶりに‘ 明晰夢をみよう! ’ページを自身で読んでみたら、ブログ本体よりもきれいに書けている。
‘ 夢の身体 ’と今更に言うところ。

‘ 夢の身体性 ’は自主的生産に拠る。私は今晩私自身の太ももに頬ずりをするように身体をつくれる。ここには一体の可能性がある。

2016-12-21: 焦りと視点
朝方なにか‘ 犬 ’が騒ぐような妙ないらだたしい気があった( 実際このところ落ち着いたようだったが、急に幼児や犬などが路上に吠えるような声があった )。私自身の関係だという受け方はできないが、またポルターが発揮するような分裂問題と思うと、いやだ。私は午後まで寝ようとしたが駄目だった。
私自身に原因と言うようなものがあるか? ‘ 明晰夢をみる ’という焦点的な言い方に私自身が反発しているのだろうか。しかし、これは今一度私にとっての視点的な試みにならなければ成らない。

2016-12-22: “ 後ろの正面 ”

私は不意に‘ なにも飲めない ’と付いた。
‘ わたしはコカコーラが好きだ ’というジョークは私のものにはならなかった。あるいは“ すべての正当化されたたたかいは親的・神的と擬装されたものだ ”という見解は、少なくとも2001年には必要だった。

“ 後ろの正面 ”にいるようなひとたちからはなにも言おうとしなかった。私が‘ 説明してくれ ’と述べたのは私には“ 誰々自身 ”が無かったからだったにも。私は私自身には勧誘しなかった。私は“ なにも知りません ”と言うべきだったが、同時に“ どうか教えてください ”とも言えなかった。
私はこれからも発信源であるだろう。しかし、私が内観として成立するのと同時に海に飛び込むのは( 私が夢身体を持つことと物理的トレーニングとを同時にやるのは )一致が無ければ難しい。

路上という幻覚
2016-12-24:
私は‘ 夢見 ’のためには私自身のパーソナルスペースを収束しなければいけない( 一致と夢見 )。

2016-12-25:
今‘ 私の夢だ ’と言う意図。

路上の笑い声の女子は私の問題からではなかったが、私は私の夢見の実践に応用できる可能性もあったのだろう〔 私が‘ 夢見 ’の機会と捉えればセッティングできる 〕。私が再プログラミングの自由が自身にあるというのは素晴らしい。
私はしかし“ 外界 ”というウソには完全一切無に帰すべし。

2016-12-27:
寝床で私は不意に私の背筋に身体的虚脱感のような悪寒を覚えた。その一瞬後どこか用水路に近いところで子どもらが奇声を上げたように幼い少年暴走族のような声があった。〔 私はそれを‘ 偶然 ’とは思えなかったので昔読んだようなポルターガイスト現象の事例話を想い出した。コリン・ウィルソンの編集ものだったか、ある人が身体的に力を奪われたか虚脱したように感じるとき外部に現象が起こったという。私は‘ 第一現象 ’というひとり的な見方にはできるが、むしろ‘ 分離( 彼女側 )の暗躍 ’だという見方になった 〕。

2016-12-28:
私の全身に‘ 夢見の実践 ’を拡げる。

一瞬だけ、扉も無いような建物出入口の少し翳ったような内。通路右側に〔 コンクリートのような階段型だけで装丁も無い 〕階段とその細い頼り無げな金属製手すり〔 赤色? 〕がみえた。

‘ 私は我慢の子をやめた ’。
そう言ったが直後、ステンレス製フォークが落ちる筈の無い所から“ カタン ”とも言わずに落ちた。

右眼がかがやきはじめた。

私は追いつかれなかった。
2017-03-29:
私が背後から追いつかれるということは自己憑依現象であり、いわば‘ おいぬかれる ’。私が公園内の別ルートにいたとき、私は引き返さなかった。私は私の背後に‘ 意識した ’が、‘ 私は追いつかれない ’とも言った。もし私が‘ そこは夜の墓地であり、私はひとり注目されている ’と・( たとえば半径5kmがそんな風だったとして )本気で信じたなら、私は‘ これは不安の問題ではないんだ ’と、その辺の石に触れさえしたかもしれなかった( むしろ私にはこれをノンセンスと笑うべきだった )。人影の正体不明、そんなところに暗い影があったら。

つるま図書館の障壁に拠り、私が利用できないという状況( 平日20時まで )余技なくされている。

2017-03-30:
あの墓地公園内ではなく“ Nヶ洞池 ”付近を通る道を選んだ。だが“ 池 ”は人工的に囲われていて地図に想定されるような大きさも無かった。Jヶ丘の道には墓地公園からの道よりも上りが長く感じられて両足がぜんぜん動かなかった。後輪の空気圧が増したからブレーキシューも擦れる? 
前回の記憶かもしれないが、その辺りでだけ‘ おいつかれ ’とは変だ( 仮に‘ わたし追い着けない ’から言い訳した? )。
‘ 今朝もうMY交差点から上がるのはやめて西の平坦な方へ迂回しようかな ’と今朝は思ったが、私はまた上がってみた。先程よりも上がり易く( 前回程にはペース上がらなかったからか )息も余り苦しいとは言わなかった。Y霊園の墓地が ’私を視る、すると両足が動きだした。

2017-03-31:
エイプリ・フール( と、私は今この日記を打ち始めるまで4月1日だと思い込んでいた )。ガレット・ド・トロワ? 
今朝の音楽は昨日から予め“ リベラ・メ ”だった( サンフランシスコ大橋?あの映画では夜景か夜明け前だった )。金城橋の手すりが低めか50cmくらいと言ってどうしなくても私は転落しそうだろう〔 次の日,偶々“ こころ旅 ”一場面に火野正平さんたちが片面ガード無し-半分障害物だらけの小道を行くのが写っていて余程おっかなかった 〕。貨物の積み荷等か船手前に自動車等が詰め置かれてみえる。・N駅前( S島 )_運河橋西_TH通_CS町経由で20.8km.“ NG大路 ”。しかし、その辺のあちこちもわずかな雑草や錆びかけたような印象。だれもきてはいないようで、モリコロ・パークの正確な位置は見えなかった。
私はターンして“ フェリー乗り場 ”に近い割合見晴らしのよい水辺を通った( その直前サイクリング姿ひとりと行き違った )。私のおはなしは記憶なのか“ エミノニュ桟橋 ”と言っていた。そのこちら岸の途中になにかひとりでぴょんぴょん跳ねながら喚いている黒っぽい猿のようなものが。‘ さては、さっきの歩道に糞がいくつも落ちていたのは、あれのだったか。放し飼いか? 逃げてきた? だが大き過ぎる ’と真面目に思ったら、衣服のある男だった。私はその場では思わなかったが、“ アウトブレイク ”というネタかもしれなかった。
私は忘れていた。

私は私の身体に( おはなしではなく )‘ 夢見の実践 ’と言う。( つづく )

暗がりと,自身の背中側に一瞬外れたように覚える ( 2018-01-23:)