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夢の原理を否定する

2016-11-10:
‘ 夢 ’は憶い出されると私の視点的可能性になる( 追記という反復に拠り夢見は強化される )。

2016-11-11:
私は8日中のメモには‘ 夢見の実践 ’自体の原理と述べたのだが( ここには未収録 )、私は認めない。もし私が認めればそれは私ではなく別の原動機に起因するそれ自体の由来だと言わなければならなかったからだ。私は‘ 個人 ’と言ってさえもそれが視点的には既に私に他意のものを設定することだった。

今朝の普通夢では便意を堪えてある小さな公園施設と町との境から私は出ようと苦労していた。公衆便所の窓から脱して路地を坂道に向かうとその路肩付近に斑模様の牛一頭がなにか催したかのようにその尻を動かしていた。私は一旦目覚めかけてからその‘ 道路 ’の形状を都合良く変えるように意図してみたのだが、便意自体は抑え難い程だったのでそれ以上は無理だった。

〔 昨日の普通夢では( ある手製クラフト類の展示スペースだったがその直後撤収されたようなところ )不意に私の20代頃に読んだような本一冊だけが立て置かれたようにその背表紙タイトルがあった。また、あたかも私の忘れ物だったといったかのようだったが( 私はその体裁には見覚えは無かったが )大東亜戦争か日本の戦争時代に関する資料本みたいなもの。その傍に薄青い紙表紙付きのノートブックをめくってみたらなにか若い子の書き込んだような勉強用メモを想わせる文字等がその帳面に半分だけあった。それらはいずれもフロアの床面に置かれたかのようにあった。( その前だったと想うが、ある座布団みたいな形のこちら向きの真ん中にひとつ目玉が付いたようなオブジェが別の物とともにあった )。
{ しかし、私がその夢直後に想い出そうとしてみえたのは、黒い木製招き猫( 伏目の仏像か聖像を想わせるその特徴的な顔形に彫られたような )だった。私はその型には既製品の物として広告か店舗に見たような覚えがあった。が、どうしてそれなのかはわからなかった }。
‘ 建物内 ’から一度‘ 屋外 ’に出るという状況的な場面だった。2Fが展示スペースだった筈のその建物は、あるデザイン設計されたような新築邸宅みたいな外観で、夕暮れか夜の中その窓等に淡い暖色の灯りがあった。 〕