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感情的ものとの距離

2016-10-25:
‘ 夢 ’に於いては感情的ものと私との距離またはそれを利用しての夢見が課題となる。

2016-10-26:

私は清潔という一致点はあったと思う。私は夏の終りにこう思っていた。もし変に唇を塗りたくったり人の挨拶を無視したり来館者に下目に見るような係員がいたらその名を示せばいい、と。それがその人自身の通報( ある訴え )と認められる。
人的理解促進の為ならそこに先ず生殖欲を容認するというような言い訳は今日の私には無い。

‘ 欲 ’が解決すれば、私は穏やかに研究に戻れる。

私は私の両足を伸ばすには私の両足の目的を換える以外には無いと思う。つまり、両足がペダル等を回転させるという動きの為ではなく( 私がバイク自体というような他動にはしない )、両足が伸展するような言い方。

私は原因を‘ 夢 ’に見ようと言ってみたが、朝方には‘ 夢 ’は無く睡眠不足のときの疲れたような状態に似ていた。

2016-10-28:
私と体との作業は悪くはない。私が自転車で体を動かしてみると( 左半身の筋肉が増したので )右足が弱い。しかし、これは私の体、私の匂いだ。

2016-11-02:
いまや夢見の実践はまったく不可能のようだ。私はなぜ‘ 夢 ’に気付かなくなったのか。私はそれの理由として考えてみた。
私がそれらに‘ 夢 ’として見ようとすれば( 根元的にそれらの由来をも辿りながら )必然的に‘ 夢 ’に対向しなければならない。‘ 夢 ’は私のエネルギーを利用する。その最中に私はその発生のエネルギー自体を私自身の注目として差し向けなければならないのだが、私は既に外界・他人にも私自身にも注視するということが嫌らしいのでやめてしまった。私はなにも‘ 場合に見たり ’はできない。
それだから、私が現在の‘ 夢 ’に可能な点があるとすれば( ほぼ唯一の関心として )、私が私の体の可能性としてこれを一致できるか。

私は一々感想文にはしたくなかった。彼ら自身からのクレームには私の連絡が起こらない。私は殆んど毎晩のように自転車ルートの1ポイントとして鶴舞公園にも乗り入れたが、いつも通報の具体性は無かったようで、私は8月以来あの館内には一度も接触しなかった。

2016-11-05:
私は私の両足として伸ばすには、子どもがその両足で押し出すように両足自体を伸ばす。

日焼け効果は上がっている[ あとで光老化の懸念により自ら禁止し,日常的に遮光している。 ]今晩自転車から帰って鏡を見たら普段の顔と違って両目の瞳が大きめに見えて気味悪い。例のcubic時の(六面色キューブが凹んでみえた)心理的な幻覚みたいな相対的なものだろうか? しかし、元気や気張りの肉体的身体的原因ならば、却ってあかるいキラキラ瞳になるのと想う( 昨日私自身に一瞬そう見えた )。

翌朝のうちに私は私自身のなにかと“ ぼく、なぐる ”と言っているものを聞いた。私は務めて冷静に‘ 私は暴力の論理は認められないから、今解決しないといけません ’きっぱりと繰り返しそう言い続けた。( 警察署員がいっぺん私に否定を放棄書にさせようとしたがように )私は感情的いいのがれには決して認めないが、問題が若し私自身の子ども時代だったなら、これは解消されていなかったわけだ。
私の質問への( その“ 僕 ”という側の )答えとしては、“ 煮こごりを食べない ”という。たぶん母親の食べ物に自ら受け付ける振りをしたがそれは嘘の習慣だったという、いわば‘ 自身のミステイク ’と言わなければいけないような状況を他者の所為だと難癖にした。親の言うことにはウンウン言わなければ食卓も無かったと? 殴るような性癖を押し付けたのは母親の側だと? 私は私自身にそんなグルなど認めない。
“ ぼくが煮凝りを食べる ”という嘘のように、当時その為に私自身の‘ 夢見の実践 ’を一意にできなかった。彼女らの問題というなら、“ ウソ放棄 ”を促す側があれば良かっただろう。
〔 備考: 私自身の問題点として猿の性行動に比例する 〕。

最後の切実( 元の収録タイトル )
2016-09-05:
午後7時代、N駅前の歩道を通る普段のルートだった。私がおはなし側の逆転層をかれらに気が付かせたからか、以前の険悪さとは変わったように( 私の通り路を察したかのように )誰もが歩きながら振り返りもしないちょうどのタイミングで空けた。
そのとき私は私が私の物事の先頭にいて曇りの無い眼で視ているようだった。それはかれらとは無関係だった。私は私自身に嘘の弁膜をつくのをやめたのだから。
[ 歩道で一々笑い声を発するような子たちはそうやって自分自身を俗っぽく貶めていた(と,私は思う。)単独のバイク乗りなどに対していやがらせのように笑った子どもみたいな者たちも(私は偶々視たが、)私は彼ら自身のそれがどういう意味なのかはわからなかった. ]
あとで私は,‘ 私がもう私自身の誰にもタッチをしなかったからだ ’と思った。

正逆
2016-09-19:
私は何年ものあいだにある種の婦人がその背後から私の視線かその印象をみることができるようだと気が付かされてはいた。私はそこにどんな原理があるのかはわからなかったし、私自身は他人の視線を感じるということは殆んど無い( 求めが無い )。
私にはそれが婦女の肉体だった( 雄の体には魅惑が無かった )という性別的な偶然ではあったかもしれない。しかし、仮に‘ 受け側 ’であるということは不幸のはじまりで、純粋にクリエイションがあると言えるような若い側には無意味だ。私はこのような話題に関して“ 催眠 ”というワードなどは一度も使わなかった( 私は夢に眠るように他者自身になったり物真似したりするようなことは無かった )。
私が夏のあいだに自転車ツールを押したのは私のうんどうが必要だったからだ。私は依存性のためにやられたくなかった。私自身の試し、孤独な試しだった。

私は例の図書館宛てにも‘( もし女子従業員たちの偏見・差別的な態度があるなら )その原因をはっきりさせるべき ’と最近の配布ペーパーに明記した。無論のこと、個々への質問と言える人の方がやさしいわけだから、集団的論理の活用は恫喝だという側には良くなかった。〔 私自身のおはなしによれば、私は昔幼稚園で先生方の匂いがよくないと言った。もし図書館側に“ 売り ”があると思えば当然のように利用したり無視したり反発したりする側がある。私は既に‘ 辞めてください ’とさえ書いた。私よりも年輩には、仕事場などの責任上もっと手厳しい即断をするような者たちがいただろうことは想像に難くない。彼女は今回気が付かないだろうが 〕。

( 続き )焦と点 - 私は追いつかれなかった。:2016-12-22,