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問題の原因 〔 生殖本能-転換点 〕

2016-08-09:
今日もどこにも行き付けなかった。
私は“ リーシュ ”という言葉を使うと“ 犬つなぎ ”という意味を連想するので言わなかった。‘ 彼女 ’の色合いがあったらと、手芸材料等のお店でカラー別の糸などを眺めてみた。目にはっとするような鮮烈な青白紫のような‘ 彼女 ’ちょうどの色合いは無かった。もっと中間色のサンプルか自家染色の方法が必要だろうが、どちらにしても私は今日“ 秋の臨時福祉給付金( 3000円 )”申請用紙を送付した処で、それすらも難しい。

ローリング・ストーンズ70年風“ 野生の馬たち( Wild Horses )”のコーラスを聴きながら、また想われるようなことあり。

2016-08-10:
左足に巻き寄せのためのテーピングが必要かもと思い簡単に図解本をみようとしたが、私は最近なるべく両膝を意識的に寄せてペダル等を踏むように走るので肉体への余分な負担は以前よりも軽減されているようだ、走るときの体勢制御に拠り、上体に通じ易いようにコントロールできる。
帰着後少し寝たら、ようやく左足が楽に伸ばせた。うんどうは局部刺激のためではないので、意図と活性をするには効果的だろう。むしろ無駄なものを食べたり飲んだりしない方が身体には健康的だという、こころの意見。

2016-09-01:

私にとって長らく面倒だった婦人たちの‘ おはなし写し ’はこの何日間かのあいだにひとつひとつ解消されつつある。私が意識的に‘ ミルク要求 ’をやめて私側の正当性を逸しないように気を付けているからだ。

私今日はもっと私の両足自体を漕いでみよう。

朝方から昼、睡眠夢の度に‘ 次には私を取り戻そう ’と意識にした。しかし後追い意識では成功できないのはこの何年かの試しに拠りはっきりしている。私は今また1として先ずすべてに私-意図的にみよう。

2016-09-03:
自転車ナイトツアー再度。街なかにはどうしても人がいるという私自身の関係性が消えないからか、意図しようとしてみても、‘ 今の夢見 ’とするのには案外難しい。右にN観光ホテルをみながら信号待ちしたときには漸く‘ これは夢だ ’と思った。しかし私が‘ 視ていた ’のは“ そこ ”ではなく私自身だった筈だ。このようなひとり現在には若いうちにはすべてを私物化できるような者のほうが楽かもしれないが、孤独が優秀であることはありがたい。

2016-06-14:
昨日記したように私は‘ 生殖本能のもんだいを見分けよう ’としたが、そこには私自身の問題としてのそれがあったわけだ。しかし、もし私がこれらのもんだいを外部原因だとみなしたら、私自身のドライヴァーが関与していないということで、私は関知できない。
‘ 夢み ’には却ってこれらがすべて私のマスターキーであると自体認識され得る方が( 自身として )扱われ易い。

今夕22号線( 名城公園西 )を通って伏見付近から若宮ルートで行ってみようとした。懐かしい西区の匂いがする。地図通りの道を一致できず間違えたようで、庄内通から真っ直ぐに南下した。伏見駅近辺ビジネス街の歩道上には白シャツ姿の会社員風の男性たちの中にいつもなにか私に変な顔をするものがある。きげんわるいのか、私がなにか‘ ふせんへいわ ’や‘ 自転車通行安全 ’貼り紙をも変なフォースとして使おうとしているのだときけん視されている( 自身 )だろうか?ふしぎなことだ。

2016-06-13:
私には体が‘ 出来つつある ’ときには‘ 暗い現象 ’は起こらない。私には肉体は神秘的領域とは関係できない。これはその本質をあきらかにしている。それは生殖に乗っているからだ。若し生殖本能と私とを混-昏として不分明の問題にして替えてしまえば、、‘ 私 ’はその中でねむっているだろう。
私が私に拠って肉体的問題を克服( 修理 )できれば、ここには偶像崇拝の問題が無い。取り敢えずとも不満足が無ければ殊更に幻想を利用する必要は無いからだ。
同時に、私は私に扱えない筈のものを未だ扱おうとするような、‘ 問い ’の原因を、見分けていなければならない。〔 なにかとの問題化はそれ自身だった 〕。

両足膝が痛みかけている。昨晩夜道にペダルを漕ぎ過ぎたとは思わないが。9時から11時までもうひと回りした。
私は忘れていた。

2016-05-24:
以前の(わたしの日常態度)反省:
わたしがこれらを書きだしてから一度も‘ 明晰夢 ’成功例が無い。かつての‘ 夢見の実践 ’時の割合にうまくいっていた頃のわたし自身の傾向として見ると、わたしは仮に幾つかの(親たちのような)キャラクター等を日常に認めてはいた。アルバイト場所やわたしの記事作業にも比較的閑散としてわたしの一方に能動的に作用でき得るような(後のわたし自身よりも神-的な)印象の方が良かったようである。しかしもそれらはわたしの進退に直接関わってはいなかった。
99年当時にはわたしは未だCGクリエイター・イメージ作家であることをあきらめてはいなかったし、異性交遊への作りごともあった。欲やそのこどもであるのを否定しなければ女神のように現れるというわけだ。だから分析的な人にはそれは現れないとは言っても、そこにはより実験的な研究の余地は残されていた。