空間視野的に視る・イメージング

2016-04-22:
一度だけ中心にコバルトブルーの光ったような形。

2016-04-28:
ある直方体の角にみたように人工的な囲い塀のようなものがみえた。わたしはそれに対してそれ自体のイメージを操作してその面をその上に左右に伸ばした。

{ 私が‘ 夢 ’にお尋ねするなどは未だ不自由だ。たとえば食事が義務的なら食べないが良いというわけで、わたしがわたしの夢に他人みたようなキャラクター性を認めるような必要性も一切無い。〔 肉体の維持に必要なものは義務的な励行である方がまだきれいだという意見もあるが 〕。
・仮に‘ 夢 ’にキャラクター性を認めるとすれば‘ 神様 ’‘ 先生 ’の方がずっと良い。
私がすべてに目的的であれば依存的逃避の余地は無い。}

2016-05-01:
わたしは今良心的にわたしの両手をみている。わたしが見つめにくかったのはわたしの中心だった。わたしはこの何日間かまた六面体キューブをできなくなった。より論理的な整-面のために数学的解析として書かれてあるような本も借りてはみたが、わたしは数式の類いにはまったく対応できなかった。

わたしは新サイト・デザインの参考に既存の絵本などの表面に面白いものがあればケータイに撮りためたりしてはいたが、録画するだけの子はなにも自主的に描かなかった。

2016-04-30:

わたしは今日の予定通りには乗らなかった。睡眠時間といっても体をひんやりとしたばかりで充足感は無かった。午後の時間が足りず〔 不意に風邪気味だった。今1日の1時過ぎにわたしはこれを書いているが頭痛があり両眼鏡の焦点が合わない 〕、爽快さとは無縁だった。しかし今日わたしが通る道にはもういやがらせは無かった。わたしが誰かの反抗心や売り言葉とみなしたのは、わたし自身の気掛かり故だった。
夕暮れの少し後、漸くわたしのおはなし側が‘ 夢見の実践 ’と言い始めた。わたしがわたし自身への対立障害をやめた。

わたしは自転車でいくときに視野の下半分以下に配慮する慣習なので、同時に視野の半分高さよりも上に注視するということが無かった。わたしは憶い起こした。カルロス・カスタネダの本にも師匠の教えとしておまえの視野の周辺で視るんだというような台詞があった( 真崎さんの翻訳は日本人向けの簡略化文体だったとわたしは思うので、それらの台詞などもカスタネダ氏の言い回しに忠実かどうかは英語原文を読まなければわからない。)[ :“ 能動的想像と明晰夢 ”meisekiyumeminogihouというサイトに引用文等掲載あり。 ]
今わたしはCS放送にホームランド1広告放映を視ながら書いているが、風邪頭痛か眼鏡視力が合わないという状態がこの感覚に作用しているのか( それ以前にホームランドが良くないから拒否的反応がある? )、ちょうどテレビ画面とその直前の空間視野的に同時に視ているかのようで、意識的な点が久しぶりにある。これは一種の心理的作用だろう。
わたしはもう4年程ビールなどを飲んでいない( 昨日ちょうどわたしの用事でいつものルートと大通り付近に自転車移動していると広場の集会場にベルギービール・フェスタと書かれてあった。わたしは人出や集まりを気にしなかった。もうグループ的ないやがらせの用も無かった )、昔アルコールを含んだときのわたしの頭を働かしにくいようなあの状態が想い出された。

わたしはねむらない

2016-05-05:
わたしはねむりに対して否定的のように、イメージ自体にも‘ わたし ’とは言わない。凡そ連想的に‘ 想い浮かぶ ’ものはわたしには無意味だ。

今朝のうちに、窓枠木製の桟みたいに縦横に合わされたような形の内角ひとつに暗い隙間があった。それは‘ 猫の目 ’だ。

しかしわたしはわたしが依拠するもの自体という望み方はできない。それはあたかも異性というものにわたしの体を預けてしまうのと同じ事だからだ。わたしは事件を誘いはしない。“ だれ? ”という呼びつけにもしなかった。

わたしはまたわたしの心に緊張をもたらそうとしている。

視界のものを集める

2016-06-26:
私は‘ 視界のものをみる ’から‘( 私自身のために )集める ’と再定義してみた。なるほど対象拒否的であるよりはこの方が易いようである。夜が戻ってきた。

連日雨に濡れたようで自転車は錆びかけている。午前0時前にN城付近の水辺にソリッドブラックのような水面をきれいにみようとした( あのホテルのラウンジ外側には蛙などがゲコゲコ鳴いていた )。何度か視ようとしたが、パシャンと跳ねるものの正体はわからなかった。Nエキ付近を通過して広小路、Sマチから41号線。

その帰り道の途中に、( ある見覚えある )婦人のその両手に箒を持っていてなにか掃きかけているというほんの一瞬静止画のようなイメージがあった。その直後夜の歩道上からの光景に( 先の映像は無かったが )その婦人を実際に目にしたときの私の側の印象だけがあった。
私は以前家の居間で父の横にそのような純粋な私の父の( 視覚的ではない )印象があったのをふしぎだったと当時の私の記録に書いた - イメージノート( 旧 )

雨に歩く、偶然
2016-06-25:

昨日雨に歩いて帰り道に、男子グループがまたなにか言いたがっていたが、私は無視して受けなかった。
常識的に見れば他人と言わないような態度の本質はたぶん劣等感だが、私は直観的にかれらの女の子側が低いから‘ 先生 ’といえる者がいないのだと言った。私を安っぽく言うような者たち全員が人間像をかれら自身のそれらと絶対に間違っている。例えば‘ 母親像 ’に障害があるなら、もっと理想的な女性像が無ければ将来の男性自立にも問題があると私は思う。
一方、私の通り道にも最近少しずつ‘すいません’と声に出して言うような女子中学生もいる。私には街路は他人の問題というだけなので、私自身の自由自在は壊されない。
そうして昨日午後には一部の少年たちが退屈そうだったが、今日午後にはまるですべてが偶然出揃った日のようにジャストタイミングだった。