消失後 ( 2016-03-以後 )

2016-03-30:
わたしは喚き声をきくことをやめた。わたしは力まなかった。“ 事件 ”も無かった。

六面体から各面にクロスと各芯を入れ換えるに、省力・効率的に5回しで済むと判明( 90度回転が4つ、180度回転が1つ )画像サンプルあり。わたしは未だに一般のルービック・キューブ解法等をまったく見ていない。
その六面体 :2016-04-19

2016-03-31:
内的ものを思い出すということ。

2016-04-01:
午前中、六面体を手に回していると眼鏡の歪みのせいで遠近が逆になったと想われる程にそのキューブ自体の側面等から底辺に台形に傾斜してみえた。あたかも透視図法を無視した絵のそれのようにキューブ自体の奥行きが逆転したかのようだ。こんな錯覚は初めてだ。

〔 昨年テレビ番組NHK未解決事件・追跡プロジェクトで宮澤一家殺人事件( 世田谷一家事件 )の室内遺体等イラスト化されたような絵が立体的奥行きよりも遠近の逆に描かれたようにみえたのが連想としてあった。わたしは以前それらに下手な絵だと苦情を醸したが、今回わたし自身の錯覚から、あの絵にも心理的な動揺・不安がそのような錯覚を催すという意味合いで描かれたものだったろうか?と思った。〕

2016-04-06:
このまえの朝方のようにわたしが寝床で六面体に苦心していると、今度はそのわたしの両手にふれるキューブ自体のある面とその反対側の面が反ったように感じられる。立方体自体がその両面の真ん中から両端へとわずかに一定の曲面となったかのようだ。このまえの変形錯覚との違いがわたし自身のどこにあるのかもわからない。前回わたしはどの色面がどう傾斜しているのかを確認しなかった。今回これは特に赤と青の面が凸面のようだ。熱か両手先の力の加減で膨張・変形したのだろうか。

わたしはなにかと関係があるという言い方はやめた。わたしが完全なひとりでなければわたしを生きているという言い方にはならない。借りのサーヴァー障害で私の18年来アップロードしてきたものは消えたが、わたしは外部にわたし自身のデータ等として見世物に置いていたものがすっかり消滅したので却って完全さのためには良かった。わたしは慌てなかったしなにも外部に移さなかった。明晰夢に危険という言い訳は、ネット依存症の問題そのものなので、一々街へと繰り出したがるようなひとりでしんとしていられない病こそ自問されるべきである。

2016-04-07:
夕方後わたしは居間などで六面体をみていたが、外観には異常無かった。

体自体の張りと柔らとの均衡。想わないひとの現象。意-( 体 )-感-的である。

再び六面体が揃わないという焦りで、黄土色面や緑色面がわずかに凹んだようにみえる。わたしはいっぺんも精神診断を受けたことが無いが、こういう特定の物が歪んでみえるという一時幻覚のような状況がどのように説明されるか?

2016-04-09:
わたしをファイル化するということはわたしを縮小するということだ。わたしが“ 事件 ”に語ろうとすればわたしを“ 事件 ”に縮小してしまう。観念的な生成物はわたしを助けはしなかった。

2016-04-19:
わたしは六面体キューブの隅8つさえ揃えば中列等はどうにでもなるのだと思った。わたしはそのキューブの各コーナーの色合わせだけを残して取り敢えず不必要の部分すべてを取り去った。わたしはこれらをシャッフルしてからこれらの隅8つをどう効率的に合わせられるかとわたしの頭を使って考えてみようとした。

夕方わたしはいつものように北図書館に行こうと自転車安全通行をしていると学校制服姿の女子たちが信号待ちをしていたが、わたしが歩道から自動車道側に下りて通り過ぎたら彼女たちはどうしてかそこでげらげら笑い声を上げた。わたしは以前に何度かそういう女の子たちの言葉以前の障害があるようだとわたしのウェブ日記に書いていた。しかし今日わたしには原因が無いので、わたしは路上安全だけを最優先できる。わたしにはもう‘ 教育 ’欲が無かった。押し付け安全は身のためにもならない。
〔 ちょうど自転車通行安全ファイル‘ ダチョウの駆け足 ’等がわたしの主要ファイル等と表示不可になるという予定が明らかになった日に、わたしは既にこれらに代わるような別の動きが他から起こる筈だと予期していた。わたしが一般記事に県警のバイシクル・フォース発足をみたのはまさにわたしのファイルが表示不可になったその翌日だった 〕。
わたしは帰着してまた3人で夕食があることはありがたかった。

さて、この1つ2つ揃わないキューブ等をどう論理的に合わせる? わたしはテレビ歌番組などはもう視ないものだと思いながら、わたしはあの女の子たちの問題と言ってなにかわたし自身への意味を問い詰めるわけが? いいや、わたしにはだれもなにもいなかった。わたしは入れ替わりの感情にも断った、わたしに不足は無い。たとえなく誰かに不満顔をする振りなど永久に間違いだ。
!いつのまに揃ったのか、わたしの目の前にこの常態のキューブが! 他の誰も触るわけが無いのに、どうやったのか。まったく記憶に無い、他事と言っていたその間に違いないが。‘ わたし ‘でない方が頭良い? 

そういえば、あるテレビ放映で男がレポーターのシャッフルしたそのルービックキューブをその場で彼自身の後ろ手に持って六面揃えるまでを( 途中ビデオの早回しで )みせていた。わたしは彼がその前に‘ ちょっとだけ女の子にモテる ’とコメントしたそのポイントを聞いてみたかった。それこそが彼にとってのそれ自体を表していたかもしれなかったからだ。