“懸案”の焦点(Q&A-19.)

Q: 明晰夢見の理想といった。
A: 夢自体の論理には乗れなかった。
Q: では,この理想は夢自体の論理には乗っていない。
A: 対立の問題ではない。..昨夜,私は8km向こうの図書館から更に5km程南に一度も立ち寄らなかったスーパーマーケットを見るつもりで自転車で行った。ところが,数週間以前に地図上ルート設定しておいた筈が,なんでか見つからない。そして,ある主要道路に沿ってまっすぐ行くあいだ,あの心理的障害かのように(地図上との記憶絵を繋げようとしながら)東西の繋がりに憶い出せなかった。3km程も行き過ぎたあとで,引き返しながら見当を付けようとしたが,あたかも初回(夜中)その辺に行こうとした時のように,その何年もまえのまま再生されたとして,それ以後の巡回との記憶はまるで存在しなかったかのようだった..,そして,その直後ようやく位置関係の戻りかけた。 -図書館前で既に間違っていたんだ。その先は港に行き着けなかった間違い通りであって,(あのショッピング施設はそれの2km範囲内なのだが,)なぜだか“5km南”だと思い込んでいたような..
そのあと私はこれも初回にぐるぐる巡りになった神宮公園周辺に出た( その主要道路の交差などどれも斜角なので,東西南北の升目に頼って来て見失った場合には見当できなくなる-と述べた例, )たしかに,その回り道で5kmになったのだが,あの施設へは行かなかった。
Q: 実際には“夜目が利かないから”といったのでは..
A: 私は“ここはどこですか?”と訊ねるような慣習は無かったし,町名看板に見ようとしている最中にこちらの視線に気づかれないようにしたかった。交差点の町名表示は無灯なので殆んど判らない。
Q: それこそ私物化できなかったのではなかったかな。“あの施設”といったが記憶的には切り離されていたのかもしれない。
A: より意図的な記憶試しの実行として走ってみたときには,子どもの暗がりのようではなかった。目的地の目的自身ではなかったから。そこでの問題は,なぜ私が(以前のどこかに)不安に陥らなければならなかったのか--? それこそ,あるセンシングだったのではないし。
Q: -自動的な,夢の例だと。
A: 感情の伴った繰り返しのようだった。だが,なぜそれの繰り返されなければならない,という言い方は無かった。
A: いや,過去自身という言い訳は奇妙だ。反射自体は常に前景であって,月の暗黒は本来不可知だ,というような.. 言えば,“未知との遭遇”みたいな。
A: ..“E.T.”のなら視たかも。彼は“惑星系”を表すために念動力を使えたのに,なんでか電子的な発信機を必要とした。たしかに“スプーン曲げ”以外あまり見せないひとみたいだった。
Q: スプーンとの間には見れなかった。
A: “第三種の-”という意義ではなかったな。あのときには不安要素ではなかった。..図らずも,“恐怖の円盤と宇宙人”は本当にマザーシップからの幼態だったのか,わたしの還元要素だったのか。だが,私のみたものは,日常的な恐怖や不安とは無関係だった。
Q: なぜならそんなものは無いからだ。不安や恐怖に拠って自ら取り締まるのは不可能だ。だが,(日常-超常に関わりの無い自己対処として)パージしていたわけだ。
A: あのロイニアリーという男にもルーツは無かった。彼は宇宙人たちとひとり乗り込んでいき,光のとき,その姿は無くなる。カタストロフィは消えた。時間的に空間を辿ることはできない。

Q&A-20.
今,これを夢だと言わなければいけないといった自己指示が,それが絶え間無く働かなければいけない常的な条件では不能となる,という見方:


Q: 以前,これは夢だ-と憶い出すための条件化について,それが常に再起されなければいけない常態的な機会の意として機能させようとした(-だが,)それが一向に機能しないばかりか,むしろ不能となっているかのようだ。
A: “飽和状態”だとは言った。あの時には脳神経などに関して簡単に読もうとしていたので,ある思考や記憶の作業を長時間休み無しに続けるのは通常不可能だという単純な見方ではあった。“休憩したり睡眠したりの方が記憶効率は良くなる”のは実証されているとね。
Q: ..憶い出そうという努力などは無かったと。
A: これはたとえだが,大ピラミッドの形を考えてみよう。底面から一段ずつ石を積んでは少しずつ,幅と奥行きとを小さくしながら,ある頂点に一致させるような形だ。しかし,もし,それの一点から始めて加乗的に大きくしていったら,どうなるだろう? もはや,膨らんでいくばかりで際限の無い,集中できる頂点は無い。..私は一度そんな上空へと大きくなっている“石の城壁”のようなイメージみた。それは天地の逆転していくような印象だった。
Q: 努力かもしれない。
A: 私は努力次第だとは言わなかった。条件化の方法に足りなかったのなら,条件式の問題だった。
Q: それではなくて,“常態に於いて夢見意との働かない理由”とは何か,質した。
A: 理由か! 心理的な相としては。
Q: 原因不明だから。
A: “分析”では出来ない。
Q: 分解不可であるなら,初めから夢に暗示するもの自身というアプローチで良かった。
Q: 生まれるまえにも,なんとでも言えるさ。先ず,どんな状況であっても常に今‘これは夢だ’と言えるか,どのような条件付けが最適なのか,考えてみようといった。..“(常に再起されなければいけない)常態的な機会”とは,なんのことだろう? それが在り得るのなら,それは夢見の条件自身だ。私は今これが“常態”だと言ったわけではない。
Q: 例によってとは言った。
A: 自己矛盾だと?
Q: 予め常態であることは不可能だったのなら..
A: これは常態ではないよ,すでに。
Q: 自身の同一的な,それと反発的に外的環境との混同だと評されるような矛盾であってはならない。
A: 矛盾,それも眠りの状態さ。これはもう-どっち向きかといった問題ではないんだ。
Q: これは(常に)夢だ--自己指示してはみたが,観念的な共同作業の具体的な対象は無かったがゆえに,納得できていない。
A: 常に夢であることはできる。なにも存在しなければ。
Q: それは,トータルを意味する。
A: トーテム? 自己について言っただけだ。私はここに在るすべてに(従来なんらかの判断するべき対象であるとしていたが,)例えば情動的な反応に関していえば,ある不確かな記憶との無自覚な繰り返しだとも思える。だがそれはそれ自体の回帰だと,私はそこに現在の問題自身とするような意味は無用だ。だから,そのような反応も含めて環境すべてに“ ここに流入してくる感覚 ”だということはできる。
Q: “判断する”といいつつ,実際にはその明瞭に憶い出せない反応の型として振る舞う場合は多いかもしれない。
A: 明瞭に憶い出せないからさ。それこそ自動の問題なんだ。その理由は各自それぞれかもわからない。私はここのそれらにも私物化しない方向が理想的だと思う。純粋にデータであれば良いわけだから。
Q: 観念的な扱いをやめたから,“夢”でも操作できなくなっている。
A: “これが-する”という言い方は自動的だ。夢が操作しているのかもしれない。

どうしなくてもこれは夢だとわかるとしたら..

Q: そもそも,常に“ これは夢だ ”であるなら,なんで“ すべてを調べる ”必要も無い,と言えたのか。
A: ..すべては夢だ。ある夢の子は本来その夢には撞かない。
Q: 中間子は囚われている,ある力の-といったわけか。
A: だから,“常態”というのは異常だ。
Q: まるで“異次元のキュアー”は自立を促さない,, と言ったが如くだ。
A: わたしは道路側に面した囲いの方へと移った。この体はガラス戸を通り抜けた。そして,囲いとの間に上がろうとしたが,雨樋の形は何本かの直角交差した狭い升目で,その上に出るまでに半ば物理的な抵抗が遇った。わたしは薄白っぽい空に見上げた。そしてすぐに“飛び上がろうとしたら..” 思い直したかのように,下に濡れた路面をみた( このときには視点のみであったかのように,着地への重みは無かった. )家の囲い側へと向き直った瞬間,そのすぐ右手路面に赤い文字の付いたお菓子の包み紙が開かれて遇った。-その場には“あれ,まただ。” -あたかもこれ以前の場面にそのお菓子名が一度表れていたかのように。[ だが,それは夢自体の観念的な暗示かもしれなかった。(..なぜ“夢”はそこまでだったのか?)]
Q: それは夢自体のようだ。その場での行動が,という意味でだが,夢の象徴性にも無関係かのように,パターン通りだったのだろう。むしろも無く,それは“常態”の振る舞いといえるか。
A: 象徴と言えば,曇り空のような白っぽさと格子状に組まれたかのような雨樋,そして濡れた路面..
Q: “雨-水”という象意だね。
A: しかし,雨水はコントロールされている,その雨樋は“田”という漢字の形かもしれなかった。
Q: “樋田(トイダ)さん”とは言わなんだ。
A: ガラス戸の感触は弱かったか一瞬だったものの,その上に“出る”には(ある種の重みといったのか)それに対して抵抗は遇った。
Q: それだが,雨樋から溢れていたのではないから,たとえ顔の見えない女の子や,室内に一度もきちんと精査しなかった責任も無かったと。逃げ口上ではなかったと。
A: そう言えば,この数日間ぜんぜん風邪を引かなかった。すっきりした状態だったが,おそらく感染者数のチェックも,無理な“外出”も無く,今週また“げらげら笑いしながら喋る2人組”という様相ではあった( あるショッピング施設で,駐輪場に,若い男子2人が階段を下りてきた。私はそのとき聞いてはいなかったが,おはなしは“タカオです”と言った。そのあと2人は外国語で話していたが,私からは分からなかった。 )ただ,今回わたし自身としてのサイト名-請求という持ち方ではなかったし,私自身“アピール側”は無かった。兎に角も無く,私は無難だった。
Q: 家の造りとして見れる自己象徴が遇ったのなら,面白い。(ある表れに向かっての)場面解析の手順だという場合には,それ自体の改変という作業は“空中飛行のこころみ”みたいに,夢自体の表象を無視しただろうか。
A: 夢の論理自体を変えることが可能かどうか-? 仮に,改変できないと思えばできない( Cカスタネダの本には“ もし夢見に於いて捕食者のように行動したら ”と述べた一節が遇った。 )あの夢で,わたしは飛ぶかどうかと留まった瞬間に,高さに対するあの恐怖?..その理由を考えかけた。わたしは路上に降りたが,あるいは空中にも表象はみえたかもしれない。
Q: 恣意的かもしれない,空白という観念でなければ,心理面に理由を考えかけるだろう。
A: ..路面は既に濡れていたんだ。
Q: “曇り空”は要請しなかった。
A: 昨日夕方まえ,私は犬の響きを聞いていた。犬はどれも吠えているのではなく呼んでいる- ある時期の子が犬に吼えかかったりするのは“衝動”があるからだ-と私は思っていた。
私は,おはなしは“そのおそれ”だといえば良かった。