警告

2022-02-11: “自分”の意味?
去年読もうとしていた“本当の自分を生きたい。”を書庫に借りてみた。昔その被害者TSさんの名前(生真面目そうな眼鏡姿の写真一枚)とともに,英語ができる学院生の,身代金ゆうかいされたという,あの事件だった( わたしは小学生時分で町名等には見当の無いまま,それ以来その事件現場の地理的方向を名古屋の反対側-向こうだという漠然とした心象として持っていた。 )
[ 以前“ 夢見の実践 Stretching ”タイトルだった頃に(こちらでの偶然話題関連として)その河川での捜索に参加したという方の個人ブログに当時のこととして少し書かれてあったのを紹介した憶えがある。 ]
私が今その本を読むことの理由を先に自身に尋ねてみた( 夢見に役立つような部分が? )おはなしは否定しなかった。
簡単に,“不良”とはなにか?“人間関係”とはなにか? 考えさせる。むしろ“ ゲーム性 ”の無かった環境みたい。特に,手記の当人が“ 尋問に,被害者への行為目的だったと見なされるのを避けようとして,生かすよりも先にころした,という嘘をついたが為に,計画的だと言われた ”というくだりが遇った。しかし,どうしなせたの具体的な場面述懐がある。やはりも逆接的に言わなくても“ しけいになった ”という意味合い?と私は思った。
[ “ 予見 ”できなかったのだろう。 ]

2022-01-01: “笑い”という障害
“笑い”は常な妥協の障害であった( あらゆる“妥協”の無い所には笑いは有り得ない. )未だ“笑い”とは意味-価値-無かったときを憶い出してみれば,“楽しさ”のなにかが永久に,わからない。私はあの路上中学生たちには“与えられた親権”という思考テーマを提示してみた( ある古い調度の室内で宇宙服を脱いだ飛行士,テーブルに食事,割れたグラス? ベッドに.. )

2021-12-22: 14-28(才代)問題
朝方,頭の中に先週からずっと鳴っていた懐メロ歌などが,鎮まった。記憶的に(14才頃までの環境に)頼りたいという心条が,ひとりのためにやめたのだろう。そう言えば,直前におはなしのように“誹謗の犯人”として珍しく(聞き覚え無かった)ある男性フルネームを言っていたが,それがあの“中学生のげらげら”を誘導したものかどうか,わからなかった。おはなし自体がセンシングか外部操作だという見方は対処的には効き目があったかもしれないが,逆に“周辺”といったような投影-投射に依って他への“炎上”に変わってしまえば,元の環境との問題が(見えないまま)据え置かれ障害となる。
[ “集団化”に依って解決することはできない,あのとき“お笑いの国”には二度と帰れないという前提だった。 ]

4時頃,S交差点-西側の女の子たちは静まっただろうかと朝うんどうで行ってみた。右足の所為か,自転車での滑り出しが良くなかったので,あの辺に30分も掛かる? 3分の間違いでは?と言いつつ(もっと軽い機体があれば.)N駅方向への途中,風の積層のような音が右耳に響いた。私は遅れて“ それは記憶の叫び声(すべての)だ ”と言った。H小路通,歩道に暗がりの中にゆっくりと動くかのような3-4つずつ男性のシルエットが遇ったが,一様に声も無くしずかだった。

2021-12-23:
また中学校の帰宅路上生徒たちが“笑い”をしはじめた。私からは偶々の通り道なので関わりも差し障りも無い,彼らが単に衝動的にか,それとも特定のオバサン源かなにかを私の傍で口写しみたいに言いたい理由があるのかどうかもわからないが.,今後も“自害者”の問題にならないように,見えない偏見などに通じてくれる人たちが必要かと思う。
年末内これまでのブログ本編への整理改訂作業が進めば,認知促進のための“ めいせきゆめみのじっせん ”看板などは正月中心街などにあらためて出る可能性がある。ただ,そのときにも異常な文句などがあれば,実名と個人責任に基づいて正当に主張してもらえばいい。

[ 過去の“ クレーム記載 ”等に関しても,“ 彼ら ”と“ 私 ”とを入れ替えて読み直してみれば,その問題の入口をはっきりさせるかもしれない。 ]

2021-12-25:
私は人心に影響するかどうかには顧慮しない。明晰夢見が質的でなければそれこそデッドだからだ。なぜ無関係に引っ掛かる要素が未だに片付かないで残っている?という質問こそ適当だ。
“彼ら”が街で私の気を惹くような行為は逆向きで( 無暗にアピール性を持たないという意味では )私自身が今後たとえば匿名だけに秘して一旦きえた上でデータを再集約してみるか,もっと緊張の高い在所だけの方法を(30年くらい)秘匿するとしたら。

2021-12-26:
最近“彼ら”の路上笑い傾向は“あははは-”を一度に2つ繰り返すだけというパターンに変わっていた。私は一度も柏手(かしわで)の類いには研究しなかったので,なぜ2つずつなのか思い至らなかった。私の側には無い文脈だ( 私からはいっぺんも“twitter”と呼んだりはしなかった。 )
この身体でのレヴェルには何も感じ得なかった。[ だが,もし私が再び疑心に持とうとすれば,私が以前自転車に“路上安全通行”を問われたように( その綴り順の主語が違ったように,あたかも反対に, )その少年らって?(それとも)警察って?と,不審問になっただろう。 ]
問題と言えば,(おそらく)黙して誰にも何も話し掛ける振りも無く終日机に着いているだけの科学的生活にはできなかったからといった訳である。しかし,仮にも無く(彼らが)傍のものに言う必要はニセモノだと自覚していたなら,他のすべては無意味だった。
路上で私に言う振りをした者たちはそんな誰かや何かの代理のために自身のライフを無駄といったに過ぎた。

[ 外側との問題として動くとしたら酷使されるのと同じことで,影響力の取り込みというよりも( フロイトが“ リビードウ(リビード,リビドー)の備給 ”と述べたように )先ず心因的に費やされてしまっただろう。 ]

2022-01-29:
昨日,なんでか“R”元ファッションモデルの女優がテレビドラマに出演していたといった(あの何年もまえの)おはなしが遇った。昔そのモデル時代の写真顔がちょっと特徴的で自身気になっていたので後で偶々テレビ出演にみてよろこんだと,わたしの日記に書いた覚えがあった( それからまた15年? )
いま午前3時,偶々テレビ画面のなにかドラマものに久々そのRの顔が遇った。ひょっとしたら昨日のうちにその放送予定がテレビ欄かなにかに出演者名と表示されていたのかも?と私は思ったが( 視界や音に自動センシングしてか,当人わからないままワードや発音になっていたりする場合もある。若いひとがたったいま横から言ったのを(外部とは聞き取らないままに)手前自身の口調だと思ってしまう? -いわゆる“ 周縁視野で読む ”メソッドとは私は言わなかった。 )それは深夜放送だし,偶々ゲスト出演者の名はクレジットされていなかった。
それが印象の有無に因ったものかもしれない。
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昨夕もうひとつのワードに“妙高園”というのが遇った。私は台所で聞いた。なんでかそれが同時に“韓国のものだ”と言ったので,私は“いや,日本のお茶に関する名称ですよ”と単純に言い返した( “箸は一本なのか二本なのか”と質問いったように,私は店名や緑茶の由来には知らない. )
今朝ニュースに,サカエチカ通りの一店“妙高園”で機械から出火が遇ったと書かれてあった。午後4時頃だったというので,同時かもしれないが,私のおはなしには無かった。韓国の景勝地かなにかの名を想わせる? わからない。

2022-01-18:
“日本製-月周回ステーション”については既に計画が有るが,こちらのおはなしでは“ 54年までの25年間運用される ”と言った( このまえ“有人月着陸”構想といったニュースが放送された時,こちらのおはなしには先ず“ 成功する ”と言っていた。 )
コロナ禍に関しては“無力化”されているからか,もう予知が無い。しかし,“来年またC国内では別のものが伝播しかける”という。

[ “ 私の見た未来 ”に関して私は未だ読んでいないが,たとえば東南の海に白い泡が出るという話が( 私はインターネットの紹介内容にその部分だけを簡単にみた。しかし,その前日私自身のおはなしには偶然“ 海底下ガス資源がいっぺんに蒸散しかける ”という例の言い回しが遇ったので )またもや自己還元の問題であった。
たつきさんの“予知”に関しては討議があるだろうと言った。私としては災害中心よりも明るい科学的-理性的発展の方向とした。 ]

[ 最近,私のおはなし側の特定ワードが,実際にはそれから数秒以内にテレビに映ったり読まれたりする単語と同じで遇ったりする場合が(私の不意に,毎日少なくとも1回)ある。このような偶然には私のイメージノート以来ずっと記していたが,今度私はこちら自身の文脈的な一部分として“聞いていた”ので,もし,あとからのワード投入だったとしたら,あたかも先日話題のような中年期以降の不認知おしゃべりみたいだ( 無論のこと,それらは私の記憶的な文脈に依っていたとしても,でたらめな語りに過ぎる. )結局,直後こちらの目や耳で聞いた語だとしても,時制的には逆である。
以前私は私の脳内での認知が外部での発生よりも時間的に遅れていたのではないか?と書いた。しかし,例えば路上で私の自転車側から不意に速度を下げて“ なにかわからない ”が不自然に徐行したり直線的進行をずらしたりしてみたら,途端にその視界に無かった別の自転車などが飛び出したように横切ったりということは度々遇った。テレビ画面などの場合にも,もし私がこちらでの語りを同時メモしていたなら,毎度数秒まえには書き留めていたかも?
能力研究者として,このような“受けミス”始終あるかもしれないと思えば,先ずこれらすべてに(記憶-例との)自己還元だと承知していなければいけない。 2022-02-08. ]