· 

感覚される“私”(仮)

2023-10-03: 他の私-?

以下に,放射状にみえる直線等の真ん中(空白)に,仮に“私”と置いてみよう:
\ | /
─     ─
/ | \

この直線等は内向きの矢印を表す。

通常“ それら ”は(ある名称や人-物の性格みたように)どれも一見外的であった。
だから,もし還元的に表すとしたら,ある特徴的な“ 外界 ”イメージすべて( 次は,外向き矢印- 他のものとして )中心から投影していた;
\ | /
─  他  ─
/ | \

それらは(動物や人のように)協力的であったり敵対的であったり,好き-嫌い-と言ったり,無言かお喋りかもしれない。
-だが,それらはどのみち“私”という反映なのだ。

[ このように,このまえ私が従来述べてきた見方を(もっと簡単に)分かり易く示そうとしている。..但し,この見方にさえも,未だ私自身の表れだとは言い切れない。]

2023-10-03: 最小最大の謎( 未整理と完全 )
最近まで,何か出かけなければならない用事かのように,小さな買い物などを理由にしては,私は動かなくなりつつある自転車で朝や夕に戻りかけた。
それだが,仮に昔の“街見”感覚で繁華街に寄ったりすれば,再び‘奇異な振り’に遭うのも当然だ-,私は“なるべく目に付かないように”雑踏付近の店に行くのも(これは私の本意ではないのだと思い,何度も)しなかった。しかし,不図,人目を気にしたいのは彼ら自身の問題かもしれなかった! 私の自身になりようの無いものを私-自身に利用できるわけは無かった。
( もう服装などに掛ける現金は無かったので,セーターにもブーツ底にも穴が空いている。私は何年間もTシャツなどを裏返しに着ていたが,あたかもジーンズパンツを平然と履けなくなったように,肌に縫い目が当たるのは不快感,健康のためには“格好に我慢”しない,むしろ若い理由だ。先日テレビ番組に“感覚過敏症”と語る青年たちの身の上話で,ようやく肌に障る衣類全部を裏返しに着ていると聞いた。今更なにかそういう“スペクトル人”みたいに他に無理解があると言わなければ理解されにくい世の中だろうか。)
もし以前のように,街通り-避難半分に例の“他人に何か言いたがる不良のグループ”といったような心象を持ったりすると(途端に,)かれらは笑ったり咳き込んだり地団駄のように蹴りをはじめるかもしれない。私は何年間もそうして対外的に抵抗感を持った-( その方が“ 夢見 ”向きだったのもおそらく本当らしいが, )単に“私の正しさゆえ”だった。
[ “皆”の正しさを追求することは必然“私の間違い”だった。意識的であろうとしたなら,“私は反転されている” -若しくは,“あの時わたしは偽の側だったんだ”といったり.. ]
しかしも,(そういう質問のあいだに,)先ず最初と最後に発生したべき,この最小最大“存在”の謎は存在しなくなったようだ。

あるひとは“ 物を投げればそれは落ちる ”と言った。

2023-10-05: 盲点 [ 整理中.. ]
昨夕,あの“ 無伴奏チェロ組曲( 先日再びフルニエの演奏録音と聴き比べてみた )”CDなどを返却しようと図書館に向かった。それの直前だったが.,私はおはなしに“ 今出かけた場合に(昼のあいだに“肝臓”で検索してみた図書を借りてみようかどうか-と)”また占いのように勘づこうとした。おはなし語は“(向こうでは)さびしい ”と言った。その図書については“ また50分頃に館内でうろうろして,読むのに面倒なので何も借り出さないだろう ”と予告した。ある解説本の内容に関して(簡単な目次だけの情報で,)もし開いてみて難しすぎたら多分手間がかかるのでやめるだろう-とは予測可能だ。
さびしい? あの図書館に,私には無い論理だ。無視して行ってみた。ジョンウィリアムズがウィーンで振ったというあの映画音楽集も棚に遇ったが,選曲は私好みではないので借りなかった。一度ヴィヴァルディにも聴ける時間があったら.. あと10分ちょっと。4Fまでらせん階段のステップ一段跳ばしで上がり,“消化器系”の棚にあの題名を見つけたが,本当だ。“非アルコール性脂肪肝のためのおいしい食事レシピ集”の方が視覚的には楽しそう。

玄関に出たら,雨が降りだしていた。ちょうど高架線下に留まれる場所も遇ったが,私は“また自転車が錆びてしまう”と言いながらも(夕方まえの疲れを知らないかのように)案外走れた。この帰り着くあいだだけ雨は降るのだろう..

私は雨に降られたあと肌質のやさしくなったように感じると書いたことがあった。そしていっぺんもこれの理由に思いついたことが無い。
私はこの数日間ふたたび“欲求”の上がってきたのを覚えていた。身体的にこれが消化されないで白くいられれば( 対象目当てや,謂わゆる“気を散らす”に費やさなければ )体のきれいな状態を保つか向上できるだろうとわかっていた。
“排泄と解消”はメタファーかもしれない。特に男子だから投射する傾向があったということかも( 仮に問題の焦点だったとしても, )身体的には見えないレヴェルで,感受性の働きである。これが心理的効果を上げるかどうかは自乗に拠るのだろうが..

欲求の向き
[ まえに書いた直線放射状の外側に,今度は“欲求”と配ってみる。]
単的に言えば,生理的な“高まり”を(3日間でさよならとは言わず)意識的方向に保持するということだ。詰まり,もし放射状の中心がこの“上がり”であったとすると( いつのまにあわせか )周縁の仮想に変わりかねない。それは,ある別のシステムのように働くかもしれないのだが,それにはいずれ“ 懸かる時間(との関係)”についても読み解いてみよう。

2023-10-07: 身体的に解ける夢-?( 過渡 )
私にとって右側(右半身)“ 虚弱 ”は否応無しの手作業や,心理的な苦痛の( 私は書き物から離れることはできなかったのだろう- )謂わば,心臓ではない側だった。
[ “右-”と付いたカテゴリー等. 私自身は読み返すまでも無く,“ 弱い左側 ”には一時期“彼女”というロールで占有しようとした。あたかもそれは右側の常識との対称的な能動性であったし,本能的に導かれた( 基本的には,おそらく“雄”よりの )表出だった。それが肉体の具体的な位置感覚に一致されていなければ効力を認められない類いのものだとはその最初に明らかだった筈. ]

放射(線)のダイヤル
( 例えば私の“右側”について,身体的感覚のその比較的な弱さや,心理的な感覚されにくさを )例の放射状線に当てはめてみる。私の場合にはその右回り90度内に不感覚な(不可視の)なにか問題がある;
- 学習,制御された動作,本能の非保持,
[ このダイヤルでは,もし身体の分離した関係とを視たいなら,心理面が中心であろう( 場合によっては,部分的な“ 欠損 ”や乖離のような障害と- )尚も“要請に応じて”細分されたかもしれない。]
これらはまた一見忘れられてしまった時間の表現かもしれないし,未来の現在にかかわっている可能性もある。習慣的な作業が単に記憶に基づいた繰り返しとなってしまえばそれは現在の必然や計算の必要性ではなくなるように,過去や未来のことは知らず知らず影響していたり現れてきたりするだろう。