陰の中の影( 陰の影 )

2020-09-12:
・ 注意の焦点( 対象 )を移す,再び。

2020-09-14:
..わたしは屋内階段を下りかけていた。その途中わたしの左手が手すりに触れかけた処,そこに不意に感触,別の指が重ねられたかのような( その階段には先にセーラー服姿の女子ひとりがいたが,そこでは離れていた。“ 指の感触 ”あたかもその場の映像的な印象とは関係無い表れかのようで, )なにかぎょっとさせられたようだった。だが,その最中にも,それは未だ“ 私の夢 ”ではなかった.

2020-09-18:
私は以前からの例の左半身には( 特に歯ブラシに対する右手指等との感覚違いで分かるのだが, )委譲的であったのかと思う。( -私は以前この右半身について“ 身構えている ”または“ 緊縮がある ”と書いていたものの, )‘ 対象的 ’付与するという自己態度が無かった。

・ いついかなるときも-‘ なぜ?なのか ’-最初に問うこと。

“ 夢の始まり ”視ようと( 自動的な印象の起こり始めに観察しようと )私は目覚めていた。不意に,ワイヤーの衣類用ハンガー等( それらだけが )幾つも並んでいるという印象が遇った。

2020-09-19:
ここを眠らせない目的。

一見“ 女体 ”の夢。ある屋内に若い魅力的な肢体の女が現れた。わたしは追いかけてそれの背後に来た処,( その衣類の開いて素肌みえる背中に, )尻のそれのような深いスリットがみえた。わたしは即それがこちらの男性器そのものの表れだとわかった,途端に目が覚めた。
〔 これは繰り返しの数回目だった。これのまえに現れたのは,女体的だが見覚えの顔だった( が,それも偶像といえば思い込みで,それの顔姿自体は似てはいなかった。)〕
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そのときにあたかも例の如く( 衝動に対して )急に踏み留まったのが私の目覚めさせられた理由だろう,と私はみなした。前夜,わたしの体調は悪くはなかったが,むしろ,眠らせるものが毒なのであると。

( 私はこのまえテレビ番組に“ 玉ねぎスライスのヨーグルト漬け ”というのをみて自身やってみたが,居間に置いていたからか,3日間すぐに泡立ちすっかり酸っぱくなってしまった。プレインヨーグルト2容器分だったので,私は仕方無しにその玉ねぎだけをニンジンなどの野菜と同じように5%塩水に漬け直してから,酸いヨーグルト液の少しずつ含んでいた。これもまだ発酵し続けていたのか,私が蓋付きの紙パックに密閉した処が,次にはもうその底が破れて漏れ出していた。)
そう言えば,夜のうちに久しぶりご飯少しだけ食べてみた。私は何週間か私の食事に際して糖質のグラム数で計算しようとしていたので( 西脇俊二さんの本によれば,例えば癌患者には大量ビタミンCと一日5gまでの炭水化物“ 断糖 ”が絶対必至だと。然し,もし私が以前のように自転車坂道トレーニング継続していたとしたら,一日の炭水化物量を100gに抑えるのはとても難しかっただろう。)私は先ずライスを食べなくなっていた。タンパク質-主食化という意味では,これはすぐ可能だった。
前夜,私はまた“ おんな酒場放浪記 ”という居酒屋取材のテレビ番組に視ようとしたが,もう以前昔のようには視れなかった。“ おんな ”というタイトル自体に私はまったく感心しなかったし,お酒の話題とも無関係だった。主に3人の女性が毎回各個ひとりずつ特定の居酒屋に訪れたという15分間毎の編集ものだが,私は倉本康子というモデルさんの( 一見おいしいのかまずいのかわからない,こめかみに膏薬が要りそうな )その苦手そうな顔が面白かった。私にはそれはそれで( 他のお客たちの絵と比べてみて,艶っぽくみえないという意味でも )うまい非難-回避だったという見方にはなる。
“ おんな- ”標榜したような正当化よりも,お酒や食事には性欲としての関わりではないというイメージの方が嫌われにくいからだ( わたしのそれ夢-魅惑はおそらくもっと古い記憶の部分からだったのだろう. )
あるいはアルコールへの抵抗値が,一見お客たちの“ 若さ,艶っぽさ ”とみえるような,魔法そのものであったという見方も( 克服的ふくむの価値としての。)
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無論,先に“ ここを眠らせない ”と私よりも自体-記したのが直後( ,自動的に, )実行されていたのだろうが..〔 なにか勉強しかけて疲れたようにうつらうつらとなった瞬間にハッと目が覚めた,まるでそれの繰り返しであったかのように? 〕

2020-09-20:
私の体をうつ伏せに寝て‘ ここを眠らせない ’と再度言ってみた。すると,即( フィレンツェかどこかのあの赤いドーム )ドゥオモ,その少し上から外観に間近にみたような微かな絵が遇った。私はその直前私の体の特定部分に置いたので,古い記憶と関連的に再生されたのかもしれない( 私は20代初め頃に教会建築物の写真などをみながら少しだけペンで写してみたり,その印象から簡単に描いたりしてみた。)

昨日‘ 眠らせるものが毒だ ’と私の日記に書き込んだときに,私は憶い出さなかった。今日午後私の起き出して‘ これは夢か? これは夢か? .. これは夢か? ’という質問型に繰り返し切り替えようと思ってもみた。然し,すべてはそれら自動-だった。私は昨日のあの一節に付け直さなければいけないと気がついたのだが,あれユング先生のだったか,他の誰かのだったか,やはりも無く私は憶い出さなかった。
そのような普通の?睡眠-夢-状態と同じく,自動連想による( 大抵それらが直接過去からのエコーか写しであろうとは認識されない. )
けれども,私が視察者であれば,少なくてもそれらのなにかを‘ 見る ’は可能であり,‘ 私 ’が能動的に更新できるだろう。

2020-09-21: “ ディギング ”のゆめ( 出てくるペン )
わたしの目の前に小動物,その一部分に突起が出ている。それが次第にまっすぐ延び出してきて....? と,一本の鉛筆!( これは何度も,別々に,その度毎に同じように繰り返された。)
わたしは乾いた小さな川床みたいな土になにか掘り返そうとしている。傍に子供2-3が来て見ている。わたしが掘ろうとしているものなんなのか( -ああ,なんなのか,なんなのか! )わたしはそれとは言えない。
〔 その“ 掘り出し ”と“ 小動物の体-出る突起 ”とは相互にか,その一方がもう一方のあいだに個別の絵として遇った。
私が起きてこれを記録に付けようとしているあいだに,不意に“ 未知との遭遇 ”クライマックス場面まえの音楽部分が遇った。私想うに,あのロイニアリーは“ マザーシップ ”に歩いて入っていくが,この夢の表れ方からなぞらえてみれば,あの場面では一本の白いまっすぐな棒のようなものになって入るのだろう。〕

2020-09-26:
( 夢見への特質は, )自主監視力であり。

私は家族の輪転にはしなかった,それは偽りの安心感だった。( 私の撤回しないという, )あの“無惨だ!”の評しに受けない( 夢見への特質は, )自主監視力であり。

夢:
岩場の廃棄場のような所,前面に岩壁,その真ん中に縦-帯状に( その帯状だけが暗く茶色がかった石材か,それら平行-角形の一定長さがやや不規則な階段状に積み上げられたかのような )彫刻か,不思議なデザインが遇った。そこは( わたしにとって不都合な )ある男の居場所だということにされていた。それでわたしはそっとその暗い帯状部分に取り付いて上りかけた。すると,その途中,岩壁-向こう側にひとたちのいるかのような気配物音,わたしは覗き穴を透して視たように,その空間,..柱それぞれと,人体のような形だが妙に大きな青緑色の( 半ば動物のような )それら口の開きかけたまま両目は閉じている何体か,どれも座りかけたような姿勢でミイラみたいに動かない。
そこに白衣姿の女ひとりが( 別の彼らから離れてか,なにか話しながら )様子窺いに来たよう。その施設にいる信仰者たちの関係か,管理者だろう。それはこちらに気づきかけたのかもしれない。

私にとって“ 少年男子グループ ”はやはりも礼儀知らずな集団というタームがあったよう( “ 彼ら ”が揃って私に誠実な礼をしたことはかつて一度も無い,と. )
私のおはなしに依れば,それは“ 母親たちの側 ”に原因がある,かつての軍国に関するように? あるいは,ユング先生の言った元型に因って説明できるのでは,, と私はこのまえ記したように思った。
詰まらなくても,彼らの不自然な振る舞いや一見ブルーな態度は( それらが個々人との自任関係には無い,という見方では )フルのニセモノであった。彼ら自身に本人があるのかどうかという問題は別として,私にはそういう自己探求的な意味での“ 引っ掛かり ”だった。

夜,私はC図書館に登録されている図書を直接借りに自転車で出掛けたが,KO山の丘を越える直前,私はなんでかその自転車用の番号合わせ錠がそのワイヤーから抜けかかったのを見てそれを解こうとしたが,それ自体が解錠できなくなっていた( ドリンク用のボトルに掛けられてあったそれがきつく引っ張られたのが原因だった.もしそれがホイール側に掛けられたあとでそのように引っ張られて壊れたとしたら,それが何とかして外されない限り,乗り手はその場から動けなくなってしまう. )その番号合わせ式のシリンダー部分が外れかけたまま,私が無理やり押し込めるまで戻らなかったので( その合わせ番号がずれてしまったのかと私は余計な苦慮をしているあいだに, )閉館時間に間に合わなかった。それでT中央図書館への用事に切り替えて行ってみたが( 私はうっかり土曜日閉館時間を忘れていたので )既に消灯していた。
出掛けるまえの糖質量とそこまでの自転車うんどう量とで釣り合っただろうか? 私はまたマイペースに引き返した。帰り道,スーパーYNに近いひっそりとした通り道のひとつ,私は偶然にあの“ lillian ”の不思議な看板がみえた夢での町内を想わせる小さな通り部分とみかけた。もしそこがあの町内の様子に似ていたとするなら何十年も昔だったろうが( ,あの“ 薬房 ”の位置には )まだ新しそうな家屋だった。私はあの“ 看板 ”がみえた方角へと戻ってみた。そこは古い商店街の跡であったかのように,そのまっすぐ一定間隔に白色灯だけが点されていた( 辺りにあの建物に似たような物は無かった。)
そう言えば,私の記憶的関連というにはおかしい話だが.. 先日別の図書館への用事で私が向かっていた最中,ある通り道にちょうど婦人2人だけが出てきた処に,偶然“ ○○ ”という家の表札が間近にみえた。それで,かなり以前に“ ○○姉妹 ”というその特徴的な名称が何度かおはなし発音に遇ったのと不意に思い出された。無論,その2人が姉妹かどうかはわからないし,私の関わりでもないのだが,その一瞬の不思議な印象だった。( あとで,あのおはなし発音自体が別の名称だったのが,あの路上での別の苗字との綴り替えに変わったのかもしれないとも私は思った。)
たまに夢などに偶然の自己予知が遇ったとしても,私からは殆んど不明というわけで,他人様にもそれがあるのかどうかはまったくわからない。

2020-10-01: 夢の中の睡眠
人間いやいやがあると,急にまえの傷が痛みはじめる。ひとというよりもウソの子からのうわさ話にウンウン言っているうちに,ねむってしまう( まるで,一度も睡眠の夢にいるとも気が付かなかったかのように.. )
わたしは信じない。