気体 | 影の形

2022-07-26:
私は“明晰夢見の実践”というタイトルを向こう側に置く[ “笑い”の総量を減らしつつ。 ]“あの(that, then)-”という形象には(わたしの非難がましかった時には)おそらくそれら自身として反響していた。嫌なものを切り捨てようとしたら,それらが逆に向かったという式だ。

“世界”は存在しない。

2022-07-22: 注視と無関心
私は“ここ”限界に(なにも“わたし自身”とは同一的習慣にしないで)なるべく整理して良かったのだろう。
[ 私は“街の路上”には不要ですと一々書いた。それでも自身との“ルック(look)”というものが一度も消えなかったんだと,ここ最近ようやく覚った。-自己心(筐体きょうたい)の問題.
私の無関心は他界への問題だったわけで,私-自身のそれを消すのは“人格”を無くすだったと,最初に気にしてはいなかった。 ]

2022-07-12:
常にあれ?と不思議に言ってみる。

自発的に憶い出すの効能(再。)

2022-07-13: 透明マスク
夜,室内で裸になってみたら,(子どもの声のような)“先生”というひと言が遇った。以前,“わたしの日焼け”のときにウワサ通報したのは自身の側からか,私に不安作用していたものだったのかもしれない。私は近所の目を憚ったし,街にもどこにもアピールしなかった( “あとから彼ら”が一々私の通行に気にしたような振りだったのは今更ながら変だ。 )
“めいせきゆめみのじっせん”は純粋に社名看板みたいな表示の予定だったが,私のサドル外し自転車(私の頭に遮光袋を被っての-)という習慣とは方向違いだった。不慣れな状況での否応無しに対応させられるような実際に於いては,私自身の慣習化よりも単に路上状況に依拠するという問題に凡化され易かった。
路上での注目は余計なことで,姿が映らなければ楽だろう。

2022-07-11: ヴァムパイアの質問
個人的な業績と“爆笑”とは不可分なのか?という質問には,考察が要る。
銀行の例とするなら,預金者という貸し手が無ければ銀行自体の運営は成り立たない。私がひとつのスペシャリティであろうとしたのだったら(単純に個人のマイクロ視点にみても)反対に“独占家”という誹謗は起こる。“稼業”がうまく運ぶのは利益の見込めるという場合だけだろう。私は読者に私の名前へのリスペクトという利益を求めた時期も遭ったが,日常のマイナスには耐乏の問題のみだった。
[ “表示率”というメタファーから勘慮すれば,私のコンテンツには余り1ワードでの占有性を持たない方が良いという読み( 何年間かグーグルとビングでの表示されるデータに不均衡が生じていた為。 )特定名称との括りは広範性を持たなかった。 ]
例えば,“これはサツジンだ”とオンラインに目線無しに訴えるゼレンスキー氏のヴィデオ画面に,(私は)わらう側があるだろうともわかる。

2022-07-09:マーガリン世代
[“拍手の側をころしませんか?”という霊的な依頼により,今夜のうちに“消された”というお話になっている。]真剣に言えば(人命の犠牲にしてやることではない)全国的に嫌がらせを“無に帰す”こともできる( 本当の意志になにができるか。 )あたかもそれはプーチンのあれのように外側から来てしまったのである。
私は自身に勧誘しないが,“一緒に”というような逆接的な言い分は永久にしななければいけない。私は長年“お笑い”呼ばわりされたり見知らぬ者たちから勝手な遊び半分みたいな態度を仕掛けられていた。“笑いをとりたがっている”と最初にそのオバサン側らしきものについて私に言ったのが,あるアルバイト先にいた男子社員だった。タバコが体に悪いというのは迷信だという変な言い癖をするような,おかしいひとだった( 今の私にはそのような言い掛けの類いは別人からのニセモノだったというおはなし説がある。 )
昨日,久しぶりに私の名で検索してみたら,漢字氏名でのグーグル画像表示には私の写真は一枚も無かった。文章には,敬太郎というひとが19年に病没していたという話が偶然出ていた。私は知らなかったが,以前なにか間違われたのだろうかと一度書いた。
私はあの英会話スクールではたとえ私が愛称呼ばわりされてもそれが習慣であっても他の全員には“-さん”付けするべきだった( 自ら従属的な体勢に下ったという見方での“笑いをとった”という言い訳だったなら? )これは正しい発話のためであって,ある型やスタイルにはまるためではなかった。

2022-06-26: 偶像,刺激(物,)投射
遅い時間に目が覚めた。私は例によって連想中にはそれらの自身を無為といいながら観察こころみた.,偶然のように赤ん坊の短い鳴き声2回遇った(微かな印象として。)
瞬発的な“興奮”喚起された。それとは関係無いようだったが,あたかも屋外のどこかで鳴いたかのような赤ん坊の声は遇った。

2022-06-27: 影の形
自覚夢の起こらないひとつの原因は,(若くて健康的な者が,鏡の向こうにみたような)“黒い影”に対するわざが無くなったからだろう。

2022-06-28: 気体の明日
気体はどこにある?

2022-07-07:
おはなしでは,“第9波まである”来年5月30日まで( ここ-? )

2022-07-09:
欲求は下る?

2022-06-29:
今晩,以前の記憶からか,特定箇所の夜道光景だけが一瞬みえては消える。特定箇所どれかでの印象なのだが,それぞれに何か関連が遇ったのか,個々の印象自体なのか。


2022-07-09: 偶像と同情心
私はここで発表するだけだったので,心理学系の方や,真面目に勉強できる読者たちには,私が遇えて“無用な暴力”に関して一々外部的報告したが為に本編とは無関係な失礼をしただろうと思う。だが,私自身に心覚えの無い業で,日常的に私の健全なファイル更新作業は妨げられた( 路上での一方的な声掛けの類い,ほぼ毎回 )不可解な嫌がらせは10才代くらいまでの子どもたちによって頻繁に続いている。

2022-07-21:
彼らが路上などで偶々私になにかセンシングしたとしても,私からはなにもわからないし関心も無い。明晰夢見の実践だけが私の関心だ(他人の領域とは無関係だ)という意味で既に繰り返し述べてある。純粋な個体だけが宇宙にとっての価値なのだ。私は他者にはなにも望まない,知りたいとも思わない(他人の事を代わりにやれるとしても私のヴァリューにはならない.)物真似の子たちが私の写しだとしたら,私はそれらを見せられても無益だ。彼らが私のコンテンツ-ファイルだけを関知できないのなら,私からは言っても無駄だと思うので,今後私の名前で発表しないという考えもある。