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意図的の‘ 夢 ’志向 ( 実行的ウェアー )

2019-01-13:
右足に怪我があり〔 実際の痛みが原因か,不図 〕、私の右足にみると、その指の数が合わない( 多い )。あたかも私の右手指を向けるようにして数える。〔 繰り返し数えようとして、目覚めた 〕。
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‘ 夢見のための継続的訓練 ’( -先週,1月8日 )の3つを同時に憶えようとする。私は夜室内にこれを繰り返したとき、昼間私がこれを唱えながら本意としかけたその瞬間の( 私が歩きながらの路上-光景 )印象のように蘇った。そのとき( その直前に私は先日分日記への更新-修正作業をPC画面上で確定しつつ私自身読み直した )そこで私は3つ全てを想起-注意した。だが、その直後にはその条件ひとつだけが抜け落ちていた。まさに・ぼうっと-( している,その状態 )同時に‘ 私の夢だ ’と言いつづける。
これは言葉に依るお唱えではなく私自身の実行的ウェアー( 志向 )でなければ無意味だ。〔 私の見ようとしている最中( 一挙手一投足 )に、同時に茫とした状態または私が欲しない場合という意図的のウェアー条件等を足すのは難しい。 〕
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読もうとしながら,‘ 夢での課題( “ 夢の表れ ”の素材的にその原因を見ようとすること )’志す。

カテゴリー:“ ぼんやり ” - または,
敢えて“ ぼんやり ”してみる( :2021-09-03, )- 注目とぼんやりとの間

2019-01-14:
これら‘ 志向 ’は( 寝床に在れば )寝際に一致-有効化されているだけでいい。今朝までに‘ 夢だ ’いう確率は上がった。昨夜のうちに“ 足指を数えようとする ”が‘ 夢 ’根拠-先例となったに違いない。
〔 昨晩性的というよりは霊現象を私の両足に肉体的一致しようという試みであった。私の読書ノート(3)に付けたように、“ パラサイコロジー ”中のポルターガイストに関する記述は示唆的だった。 〕
だが、未だ私のものになっていない( 私はその場面等を私の記憶に残せなかった。私は今では人物や物品等への関心が無いので、観念的なもの自体というような印象は作られにくい )。
今朝の私の忌避されるべき感じは、その‘ 憶え-出せない ’二日酔いのような感じであった。“ 夢に呑まれている ”とも言えるが〔 この点にフロイト先生の“ 度忘れに関して ”等を参考に読んでみる 〕。
昨夜4つめの条件が‘ 課題 ’化されていない。

2019-01-21:
- ( すべてに同一視-同一化しない )観察する。

2019-02-18:
- もう一度( 目蓋閉じても )両目視界を同時に重ねてみる。物には収斂しない。

朝方.私は私の左側空間的( 頭近く )に通常の寝入り端ノイズのような発生を聴いて、私の右側に左右対称に移してみようと試みた。私の体-右側が“ 感覚的に通じにくい ”原因のひとつは、噛み合わせの不足であったのかもしれない。私は先ず上下歯列の合わせを左右対称に修整しようとした。それから体にリラックスし、その所為かどうか、雑音感覚は私の頭部右側近くにも感じられた。

私の両目蓋視界にみると、暗い四角の縁に細い白と黒が付いたような印象が一瞬あった。私はその直前“ 知覚の扉 ”ハクスレーの体験記述に読みかけていて、ある頁に画家ブラックの“ 円卓 ”という絵がモノクロ掲載されてあった。その“ 卓 ”上の物品等幾つかにはセーラー服-襟みたいに黒っぽい面に白っぽく一定の枠が付いていたが、私の両目蓋を閉じてからその真ん中にみえたのは完全な垂直水平-四角形一部分のようだった。まえの視覚的イメージが影響したかもしれないが、私の以前みた“ 知性的象徴 ”としての正方形に合成されたかのようだ。
〔 そのイメージの特徴、その縁付き四角の左上がはっきりみえたが、その右下はフェードしたかのような暗がりか不分明だった。私はそれが‘ 身体的象徴 ’であるならそれ自体が同時に垂直水平-正方形の特徴を備えているのはどうして?と不思議だ。 〕

それとは別に、不思議なことに、居間でも風呂場でも私の視野の端に私の右手先がみえるが一瞬毎、( 不意に )その指先等に薄青っぽい照り返しか色合いが映った。

〔 私は‘ 私の体の外 ’になにかが存在するかのようにみられる場合には、それが容易に“ だれか ”という形に投じられるものだと思う。簡単に言えば、“ それら ”が私の傍に居ても居なくてもここにあるなら、私のヴァリエーションに過ぎない。だから、敢えてその型をなにも無いところや私の自身に投影してみれば(‘ 彼女 ’という試みであったように )、それらが私の限界に過ぎなかったか、別の様相と変化してみえる場合もあるだろう。 〕

青いネイル( 次回 ) :2019-03-13

2019-02-19:観念的正体への約束
午前中からの雨降りという予報があったので、私は前日日記分迄の更新に出掛けるをあきらめて、寝床にて私の両目視界を重ねる( 雨音が聴こえる )。
不図、玄関戸の方にみると、普段私の自転車が置かれてある所に、見慣れない子供用か小型自転車など新しく3台が余計に置かれてある。私は父がどうしてか余分に買ったのか他から手に入れたのかと不思議に、室内に訊ねようとみるが,父は口先で知らないという素振り。再び玄関に視ると、なんとそこはからで、母の物も含む自転車全部が無くなっていた。‘ 盗まれた?! ’ 私は慌てて外にみると、堤防の方向その上方に( 団扇のような形の翼を持った,単葉の )飛行機みたいなものがちょうどその上面がこちらに向いた角度に旋回しながら上がっていく処で、その翼-中央上に自転車3台が並列されているのがみえた。
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ある室内に“ Bur ”というタイトルの付けられた画集のような本が置かれてあるのをみて私は( それが直前に既にみられたイメージのひとつだと )一瞬に‘ 夢だ ’と覚った。
〔 その室内傍-私の左側に別の婦女子ひとりがいて聞いていたが淡い印象,( 私が今これをメモしている時点で、そこに至るまでの既存場面?は想起されない )〕.ある右頁,そのカラー写真全面一枚には古い石像遺跡の頭部みたいな、とんがり帽子の人物フィギュア、〔 やや写りの甘い、古い図鑑に視たような印象.どうしてか私はその像が‘ エフェス ’に関係あるものと思っているかのようにその場にそう呟いた。 〕

〔 とんがり帽子のその石像には表面壊れかけたようで特徴も無かったが、魔術のものが連想される。“ エフェス ”と言えば使徒の説教で有名だが? “ Bur ”という語にはむしろもっと東の遺跡という印象だ。
先に“ 飛行機 ”の翼が両横に広がった一枚の団扇その骨組を想わせるという点。これは今朝の早い時点で、私が居間に置きっぱなしにされている‘ ゆめみのじっせん ’文字付き団扇をみたのが関係したのだろう。私がこれを自転車-宣伝することは“ 女の子たち ”の為ではなく私ひとつがこれに生き残るためだった。あたかも“ 別の新品自転車等 ”だけが旧式飛行機という団扇の上に乗って運ばれていた。
二重に視えたとき( まえの時点での表れとあとの場面での ),どちらも夢での仮-空イメージなのに、予めセットされたかのようにあとのそれが視られたときに‘ 夢だ ’と至ったのは、どうしてか? 確かに私は前日‘ 夢に表れるもののどれにもそれが表れたら即“ 夢だ ”と言うだけでいい ’と自身に言ってはいた。 〕

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2019-02-20:
+ ‘ 明晰夢回路 ’を作る。