· 

明晰さと夢,意識と主体

2022-08-28:
私は夢を見ている ’という現在的の意識を保とうとしたら,じきに“ものおもい”に変わる。毎回“ものおもい”自体の自動的-占有するだろう。
私は今‘ これは夢だ ’と言い,再びものおもいに変わりかけた瞬間に(今度,没入しないで)それだ!
..その条件に拠り,
‘ 夢だ ’という注意のあいだ,自動的な“ものおもい”に変わる意識的な瞬間を(少しずつでも)手繰れるようになる。

-
ピエールジャネに拠る初期的な一節( 引用-下記, )私が眠りと意識との“喪失”について思っていた通りが,その“夢遊病状態”に関しての問題点として述べられて遇った( “ 心理学的自動症 ”1889,よりの続き; )
..夢遊病者の忘却がすべて連想の流れの破綻によって説明できるわけではない。夢遊病者たちが覚醒した直後、その直前までの彼女らの注意を引き遂行していた行為に結びつく物体や動きを目にするわけではないにしても、その日のうちには、夢遊病状態で見たものと同じ物体を見、そこでなされた動きと同じようなことをするというのは十分にありうることだからである。なのに、連想の力がどうしてこのとき働かず記憶を喚起させないのであろうか? 夢遊病状態にあったレオニーは、花を摘んだ。目を覚ましたとき、私はその花束を彼女の手に持たせたのだが、その花束がどうしてここにあるのか彼女に理解できなかったのは、なぜであろうか? 連想によって、花を摘んだということが思い出せないのは、どうしてであろうか? 
かつての動物磁気術者の一部は、夢遊病状態で生起する感覚の変化に注目しており、これはきわめて正当な見方なので参考にしておきたい。ベルトランは、「どんな眠りにも、多かれ少なかれ外部に対する感覚と運動性の喪失がある……。感覚は内部へと逆流し、夢遊病者たちは内部感覚で捉えられる新しい感覚で満たされ、その連続が日常私たちの享受している生活と異なる新しい生活を作り出すことになる」と述べている。
..
( IV イメージの記憶とその忘却をきたす条件より/第二章 )

VI 夢遊病状態後の覚醒時における忘却、その解釈/第二章より

2022-08-30:
出かけるまえに,“ 今日あの図書館の状況はどうかな? ”と,おはなしにたずねてみた。すると,“(インターネットでの)アクセスできない(無い)”と言った。私は繰り返し聞いたが,端末の使用不可か,館内のダウンしている?と不思議だった。
“..どこの席にも,無い”
私が図書館に着いてインターネット端末前にいつも通りの画面みたときには,もう憶い出されなかった。私のページを開いてみようとしたら,不意に空白と“利用不可”メッセージばかりで,ジンドゥー側のサーバー状態に関する英語でのステイタス表示を見るまでは不明だった。
[ 私は私のページについてはいつも直接URLで表示させるので,その端末か回線自体のエラーでは?といった単純な窺いはその時点での私-自身のものだった。 ]
そのあと,私が復帰したページを視認しているあいだに漸く,あのおはなし-?と思いついた。
たしかに“おはなし予告”は在るのかもしれないが,結果に比してその言い回しは不明確であった。

2022-08-25:
昨夜,私が薬缶の湯を沸かしかけて様子をみていた処,背後にブーンと特徴的な虫の低い羽音(例の,死にかけて弱ったような,緑色の-)室内に放っておいたら電灯の傍をブンブン飛び回るあれだ。私は電灯を一度オフにしてみたがそれは離れなかった。それからまた飛び回りかけたが,ガスコンロの火の中に自ら入り込んだかのようにすぐに近づいて(一瞬に)燃えた。
今夕私は予め天気予報を動画的な“気象レーダー画像”で視ていたが,19時まえには余り濡れることも無いだろうと見なしていつも通り自転車で行った。遮光袋は必要無いくらいで楽だったが,なんでか歩道際にまた突然狂ったような笑い声を発したりした婦人は何か所かに遇った。電気的な瞬きは一定間隔に点滅する強い白色灯のそれみたいだったので,本当に雲からなのかどうか判らなかった。
私は外れがちなペダルを応用力的に半ば動かしながら行ったが,この両足はザブンザブンに浸ってしまった。

2022-08-23:魔法の本?
“ ミルトン・エリクソン 魔法使いの秘密の「ことば」 ”という,比較的には最近出版された本を開いてみていた。
その日本語の著者に因る解釈の幾つかは哲学系か理屈っぽい,慣用句みたいな言い回しすぎた( -分野は異なる. “療法”に関して,思い込みみたような観念的な語句も幾つか遇ったが, )不親切なその題名とも,かなり違和感であった。
一晩で目を通せるだろうかとみたが,エリクソン博士の利用した“ダブルバインド”の例など,引用された話題には初日本語訳の部分もあったそうで,その点には有り難かった。私は未読だものの,シドニーローゼン編“ 私の声はあなたとともに( MY VOICE WILL GO WITH YOU, 1982 ) ”など既成の本からの引用部分では,例えば,ある婦人が右胸に触れられる度に“くしゃみ”をしたので,医者がその原因の確認できなかった.,
ある成績オールAの学生が授業に毎回遅刻するので注意されていた( その度に彼女は真面目に可愛らしく謝っては約束したという- )医学校でもすべてに遅刻していた。そして大講義室での学生たちの間に20分遅れたとき,先ずエリクソンの“ お辞儀 ”が始まり..
(シドニーローゼン:)他の人たちは、言語的な手段で彼女を支配しようとし、彼女は言語的には支配されえないことを証明した。エリクソンは非言語的なアプローチをもちい、彼女が自分を傷つけるやり方で支配力をもちいていることを悟らせた。..
[ “礼儀”と言えば,私が街路-坂道にルート設定しては普通自転車で体の発達-維持‘ うんどう ’していた頃の一時期,夕暮れあとの夜道などに,私の行き違いに会釈したように頭を下げる歩行者たちの連続したことが遇った( その振る舞いは,制服中学生たちの“一斉げらげら笑い”とは,あたかも対称的であった。 )私はそれ以前の問題からなんらかの“謝罪”とみなしたが,一方路上“笑い”は最近も単発していた。
【 私は解らなかったながら,なぜだか,それら“笑い”の遠因が,例えば私が過去の英会話スクールA関係者たちに拠る無様な言い掛かりに対して法的な裁判に持ち込むだけの明るい支援活動を得られなかったといった問題にあるのでは....?と思っていた。 】
私はグループ活動の無価値だと思い,従来“集団的いやがらせ”には丸の希望を持たなかった。ひとつのクリエイションこそ可能性であり,新しかったのである。もしこの点について“尊大(特別さ)”という言い回しが在ったのだとしたら,それは外的な比較級に変わるような(流布の)問題だとみなされただろうが.. これらは土台人々との作業ではなかった。
以前この日記シリーズに,私は小学校5-6年生のときにその同窓生ではTという女子だけが私を“-ちゃん”呼びしなかったと大人っぽく回想したように記した。だが,それは私がそう述べたときの私自身のイメージで,記憶の実際にはその頃の女子たちと同じように“-さん”と呼ばれていた。
..(ミルトンエリクソン,ある悪性腫瘍の患者に関して:)私はこの患者の自宅を訪問しました。リビングに入ると、寝室の方からなんだか恐ろしい詠唱が耳に入ってきました。「私を傷つけないで、私を傷つけないで、私を恐がらせないで、私を恐がらせないで、私を恐がらせないで、私を傷つけないで!」
質問の結果、判明したのは、キャシーは目を覚ましているあいだ中、こうした嘆願の言葉を発しながら泣きわめいているといういことでした。彼女の叫びを聞いているのは、まったく耐えがたいものでした。こんなふうに振る舞う患者を宥めるのにどういう種類の催眠技法が効果的か、私は自問しました。
ベッドルームに入り、キャシーが右側を下に横になって全身を丸め、目を閉じて、単調に詠唱をくり返しているのを観察しました。私は彼女の訴えを二〇分から三〇分聞いてから、彼女が言っていることの強調点とリズムを取り出そうとしてみました。そこからすべてを学びとるのに十分と思われるだけの時間、彼女の声に耳を傾けると、その後、私は彼女の声に合わせて単調な詠唱をはじめました。「私はあなたを傷つけるでしょう。私はあなたを傷つけるでしょう。私はあなたを傷つけるでしょう。私はあなたを恐がらせるでしょう。私はあなたを恐がらせるでしょう。私はあなたを傷つけるでしょう。」

“ 私の声はあなたとともに ”(引用等)続き;