表面感覚を高める

2022-12-18: 目の表面でみる
身体的‘ 表面自体 ’として認識してみようとした( 最初,顔面または両眼に再び意とする。 )空間的であればこれは“境界”として留意されるのだが,それらは(光景以前に)取り敢えずこの両目に張りついているだけだ。
このような意識から遠去かる度に( そのあいだ,気の遠くなったかのように )あたかも嗅覚のものや身体は感覚されなくなる。
[ -外界対象に向かってしまえばそれのみだが,自身に向かってひたすら“感覚”してみると例の“耳鳴り”に変わる場合もある。 表面に感覚を強める。
受けない(感覚しない)’は更に重要となる。 ]

2022-12-25: あるバイト?
( ..年長の女のような者が“わたし”に話しかけて一方的に連れ出そうとしていた。施設内の通路のようなところを移動していった。)..
“わたし”は文字4つ付きの札を渡された(“FDM9”というような番号だった。)あたかも作業場みたいな,なにか物品等の積み上げられた所にその番号との照合が必要だった。そこに右側から通りかかった白い作業衣の小柄な男,聞いてみた。“ああ,それはね”と,その番号毎に分けられた物品等の間に上がった。包装された長方形の箱ひとつとそれよりも小さめの包みひとつ( それら不必要な物だといった。 )
右側に,黒い瞳,若い癖毛の女ひとりが手続きの係であるかのようにみていた。“わたし”は荷物を持ちかけてそちらに近づいたが.. 私は夢の場にいる。
[ これ以前の夢幾つか,毎度のようにその最中に気付けなかったので後悔の繰り返しではあったが,それは毎回だったので,私の意図努力が常に今回の作用可能な論理性であったとは思えない。むしろ,私が普段の‘ 意識 ’訓練に於いて(-ある最中のために,私の“夢だ”のタイミングを早めようとして)一定のレスポンスは表れていたように,あたかも“夢だ”の意識は存在しているが( 何らかの条件的なきっかけとして )表れるのだという見方となる。 ]
女は机に向かった。私は近づいて一言いいかけがちに机端に掛けながらその顔をみた。[ それはいつのまにか薄グレーの野球帽のようなキャップを被っており,顔は無くて,その部分は一面やや固そうな肌質だけだった。 ]

“箱と包み”はクリスマス用の(使われなかった)物かもしれなかった。
“女”から,皮-表面( 昨夕,私は古いブーツに雪どけ水の染みて片足底が濡れたのを気にしていたが,夜以来,小学生時代のように手足の汚れも気に掛けないといったような,回帰した傾向は遇った。
単に言えば,“女”ではなく私の足だといったようだ。 )
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もうひとつの要因? ある関心から離れての一瞬として条件的再帰する;
私は‘ おもしろくなくなった ’ときに(夢だ;)という。2022-12-09,

〔 翌日(上の記録を)読み直してみた処,また例の“方向違い”あった。-“右側に,黒い瞳,若い癖毛の女ひとりが”の部分。その場の印象では,こちらからみて左側だった。私の視覚的なイメージとしての絵は一度も左右違いにはならないが,こうして書き直してみても,また“右側”と言ったりしている。
以前の私-夢記録にも(先日読み直してみたら)同じような左右の言い違いは見つかったが。私の記憶的なそれら印象自体は(細部の残らない以外は)殆んど変わらないので,書き直さないでこのように注記してみた。(因みに,私は片手でキー打ちのメモをする際には主に左手を使っていた。マックの使用にはペン型で操作していたが左手だけだった。)
以前も述べたように,科学的に言えば,脳の部分では視覚までの処理中に左右反転-上下反転したような絵もあるそうだが,“夢”は肉眼からの知覚ではないので,別の論理で説明しなければいけないのだろう.. 〕

追記(左右-反転?)[ 2022-12-31:
私は夢の場面について想起しながら記そうとする言語上でだけあの左側を右側と言ったのだろうか?
夢の場面からの絵が“鏡像”だという見方であれば,私の向かって左側を(それ自体に依る)相対的な右側だったと“間違った”おそれはある。
しかし,もし左手が行為に於いての優勢な側であったとしたら,右手のものを“左だった”と記したのかもしれない。 ]

翌日,あのジャネの本に読んでいたら,次のような一文が遇った;
..レオニーの左手(身体左側は完全な麻痺状態にある)にハサミを持たせ、その部分を布で覆い隠す。レオニーに尋ねても、その左手に何を手にしているのか、言えない。
しかし左手はハサミの把手の輪に指を差し入れ、開いたり閉じたりの動きを交互に続ける。同じように左手に鼻メガネを持たせると、その手は鼻メガネを開いて、鼻のところに持って行こうと上にあがってゆく。しかし、途中でそれが視界に入ってくると、動きは止まってしまう。そして、「あら! 私が鼻メガネを持っているなんて!」
..そこには無意識の動きだけがあるのではなく、無意識の感覚も生じている。..( 第二部-第一章I/ 心理学的自動症 )
その内容はそれとして,私はこの一節に読んでいるあいだにも(私の自身としての)右手に鋏を持っていると連想した(“左手”と読みながら。)
左手の動作には“右手”といったかもしれないが,自発的な右手での動作には右手だといったのだろう。
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