夢見の方法31- 試み

2023-12-04:
“観念物”は私のもので,“私は観念物をやめた”とも記したのだが.,“私”は夢だった - 自身を夢見る-という( あるいは,自動性の. )
都合上,“私”という主語無しに述べるとは,亡霊を言うようなものだ - 偽モノよりも。あの放射状線上に“私”といったとしたら,(私は)外来の周縁であるという定義付けも遇った。今更この見方を推奨しようとは思わないが.,古い例で,たとえば“ 金縛り ”は,ある身体自身への(時と場合によっては外在性の-)“憑依”現象だということもできる。先だしも“ 金縛り ”は意識-外的で( 心理-物理的といったべきか? )反転現象を招くおそれもある( 半ばは無意識の. )
-だから,“(われわれは)観念物を通して‘ 夢 ’をみる ”と言い換えてもいい。なにが夢見ているのか?という質問は既に明晰夢見の課題リストに在った( 未だ現場審査になってはいないが.. )]
それでも,それが外的な振るまいに変わらないなら,この自身に一致したままで‘ 夢見る ’という目的は失われてはいない。

2023-12-03:
今日みかけた図書館でのリサイクル資料の一冊に,偶々“ 最新の健康- ”という見出しの科学雑誌も遇った。一昨年の号だが,私にはちょうど用の話題も少しずつ含まれていたので,もらってきた。その“ 最新研究のニュース ”のひとつに,海馬から大脳に記憶を伝達する神経細胞が判明-と,簡単に書かれてあった。小コラム数節分なので,なんのことなのか分からなかった。“ 嗅内皮質 ”という神経細胞ネットワークに注目していたそうだ。( その隣接したコラムには“ 孤独を感じる人は腸内細菌が少ない- 思いやりや賢さに欠け,社会活動に参加しない人ほど,腸内細菌の種類が少なくなっている ”-? )うちの本棚で埃を被っていた“ メラトニンミラクル ”に関する書を久しぶりに最後の方から少しずつ開いてみた。低カロリーの餌で飼育されたマウスと,もう一方のグループと比較してみた処( 体のサイズは半分だったが, )その外見や動きは若々しかった,..? “ ブルーゾーンズ ”のお話みたいだ( -そう言えば,中国の百長寿者に関する話題は無かった。他の本では“ 香港 ”が長寿1位だと書かれてあった。)
“ 嗅内皮質 ”という語に,私は(その話題と繋がってはいないが,夢見という観点から)サン=ドニ氏の就寝時-嗅覚-夢実験の話と連想された。“匂い,香り”は記憶-連想を喚起するが,それ自体“媒介物”とは呼ばれなかった(私の文脈では.)“夢”に連想的な印象や心象を誘導しよう-と,五官感覚が利用されたわけだ。
ある“もの”に向かったときから,“それ”付随した記憶との連想は起こる( それ自動的な現れであるかのように。)ある対象は観念物となり,対称の投射に因っていつでも“ それ ”である。-だから,あるものが次の瞬間“それ”ではなくなった( それとも無く,まったく何なのか見分けられない-は )通常には起こらない。
[ 以前,わたしは自転車で市外に行ったりしていた頃,ある晩,一度も向かったことの無い方角から逆に辿って帰り着いたのだが.,(普通な正面とは反対の方向からその小さな家屋のみえた一瞬,)私には見憶えの無い印象みたいだった。それも(慣れない別ルートとの)記憶になった観点だったのだろう。
それだから,(ある記憶となった系との-)関わり-見分けといったユーザブルな言い回しは,(-自身への,慣例化された)逆接に過ぎない。]

“私自身”見慣れない印象もののように,“知らないひと,知らないもの”に帰し得る。“夢”に気づかない( 心理面では,ひとつだとしても, )ある観念物自体の普通状態であれば“ これは明晰夢見のその実践で ”とは決したりできない[ それ自身“ 見る目的 ”セットされていない。]

見入っては忘れてしまう? 両目の焦点を直に合わせない。
感情? 同一化しないで注視してみる。
きけん! “ 夢だ ”のきっかけとする。
身体的一致する。

このような,夢見の機会とする試み- ローテーションで試してみる( または一瞬,同時に。)
-意図点けが難しかったら,なにかの特定動作と意とを動機的に条件-付けてみる。

2023-12-26:
いま目下の関心事自身は何か?-

( 夢-自動 )克服〔 反転 〕