偶然性の終り

- 自己との同一視-信用の必要性は無い,これらは“夢”ニセモノだからだ。
ある“論理”に語るは簡単すぎる。

2024-05-21: よっぱらいのゆめ
私は(10代の頃には無意識的だったが)後々両足強化の必要性を感じていたのだろう。 ..ある図書館内で私が偶然最後あのOT婦人を見かけた時,私はその両足首の“かたち”に気がついた。それは何年まえにか私自身の両足首にみていたのと同じだった( 一過性の額しわも? なにか,似つかわしくない印象だった。)それ以前に私がそこのインターネット席を利用していたときなど,その似た婦人が(仮にその当人だとして)その実娘だとしたら年齢の合わない幼い女児を連れていたこともあった。私からは一度も声を掛けなかったがその連れられてきた女児が私の傍を通り過ぎる瞬間“ おとうちゃん!”声を発した。( 私が額のしわについて“ 一過性の ”と言ったのは,私自身のそれがなんらかの“アレルギー的な”ものかもしれない-と思っていたからだ。)
昔私が地下街など歩いていた頃,一見若い女子のグループが急に声を発したりといったことが毎回度々遇った。あの“げらげら”に遇うようになった時期よりもずっと以前だ。私からは一々誘いをしたりは無かったのだが.[ 私は小柄で,もう若い子のようにはみえなかった筈なので,“なんの関心”とは,まったく判らなかった。]
..あるいは私のこの両足が特別なエネルギーみたいななにかを持っているように映るのかもしれない.. そういう身体性からだろうか-と思っていた頃もあった
[ 20代の一時期に於いては,身体性-自身として,未だ対象的ものへの“食欲”自体に依存-分離されてはいなかった( ‘これからの独立の可能性’は本来の生きである-という,こういう自身への不分明の状態が,必ずしもまずい不認知の問題ではなく,若いひとの清潔さ(-転じて潔癖さと変わる..と,)みなされる場合もある。)すでに私は“交接の可能性”に二度とは持たなかったし,寿命の方が大事だったので,一生そんなもちを食いはしないだろう..
私は例えばカルロスカスタネダの“ ドリーミング ”に関するお話など読んでいたので,“身体の夢見”という一読純粋な話題から“女たち(ある術の弟子たち)との-”といった方向へと移っていく過程には,きちんと判断されていなければいけなかったのだろう.( 作為でも話法でもなく,ある“ 夢見 ”についてのお話自体として読まれることで“ 夢 ”可能としたのだとしたら,あたかも,ある映画のおはなし世界“これだ”といったのと同然.,なにも明晰ではなかった--という意見も出るべきだ。)]

+ 身体“受け”無くす。

-精製されたものほど不足不満の有害物となる?

2024-05-19:
前回日記に2001年のことと記した連想でか,私の海外旅行時かなりトルコ人などに偏見もっていたのが逆説的な苦心のもととなった-と思った。それで,直後おはなしは“ excuse ”の意味を問うたのだろう( 先頃私は何年間も“ 英語教育を受ける ”ことをあきらめたゆえんで,“携帯ポケトークか,大谷選手みたいでいいんじゃないか”と思っていた。)そう,あのころ私は慣用句的な“ エクスキューズミー ”いがい考え付かなかった。すべてが日本語との意訳ばかりに依拠していたら,語そのものの成り立ちには一度も及ばないからだ。
そんなふうに母語を話せない子も先ず殆んどいないと言われるが,遺伝子そのものの祖先を質せるひともいないように,語源しらなくても一見つづいて大食やエッチ子づくりは可能だと思われる。
完璧な記憶のひとだったなら,自身AIのように直に高度化できるかもしれないが( もしAIがそれ自体に拠って“発明”できるときがあったなら,人類の相対的価値はますます危ぶまれる。)

2024-05-17: “ ブレンディ ”
..久しぶりに,奇妙な“言いかえし”のような夢だった。
( ..わたしが背にしてその戸口に付かなかった,(教室にでもいるかのような)学校制服姿などまちまちな姿の女子たちがみえた。わたしは一方の室に向いていて無関係だった-が,突如その“女子たち”の後列-端から(その横顔からこちらに向けられた顔形は成人のようで,あるテレビタレント-モデルのそれみたいだった。)なにか言い掛かったか(非難勝手のよう,)“ブレンディ”と言った。)
..有名インスタントコーヒーの名称だと即連想した( 昔うちで使われていたとしても一度か,偶々100円ショップに置かれてあった物をその時の都合で買ってみたのだろう。“駄為”以前に書いたように,元にモカ系か浅煎りの豆以外使わなかったので,私は昨年フリーズドライのインスタントものに切り替えてからも“ アラビカ豆70%使用 ”と書かれたイオンのトップヴァリュー物を使っていた。ちょうど一昨夕だったか,(その商品はあの一斉値上がり以後も賞味期限の月付は更わっていなかったのだが,)ようやく“ 25.06 ”なっていた。但し,現状では一袋505円買えないので,私はエチオピア-モカ粉のものをちょっとずつ継ぎ足している。)
もし,あの夢の一語が“..モカ単体ではなかった”という意味で言ったのだとしたら?( それタレント-モデルの半分西洋系のような面立ちとして偶像的に表されていたのでなければ, )更に説明的となった筈だ( -但し,その女優自身が非難がましい態度を示したわけではなくて,むしろテレビイメージへの手前逆接だった-という見方になる。)また,毎度商品棚にblendyいう名称ならんでいるついでに,目に付くのだが.,あるいは,私にとっての“女子たちは”その“ブレンディ”同然,私の手に受ける意味合い無いといったわけだ。
-直後( その夢の側にはなんらかの見当違いが遇った )-というのが私の言い方だった。
昔,あるイーオン関係者が(私の不意に)“アルカイダ”と面前に言い放ったりしたのが遠因となり( 当時私はそこに通いながら宣伝リーフレットのアルバイターをしていたものの,なんでか誰かがそれらを一々投棄したかのように難癖がついた。当時の私はひとり作業を面倒臭がらなかったので,一日900枚を一枚ずつ各戸投函することも全く厭わなかった。“もしチラシの量を用意するのが大変なら言ってください”と私は当時そのスタッフたちにたずねたと思う。そのイーオンの環境は英会話講師たちのいきなり怒鳴り口調や,クラス参加者たちの不得意レヴェルを無視されたかのような無理強いなど( 非常に衝撃的だった-と )後々告訴されたべきだった。残念ながら,個人的的信用を持ち直すためにその“ マネージャーたち ”を追及しようという向きはどこかに生存している。)
既に私-自身-信用の無いことを表していた。

- 感化されている-された状況からの問題-?
(先ず)感覚的感情を完全無為とする。

[ 解読に向けて,
-自身に“性的特徴”と呼んだりすることには(全くには)無意味な労費と言うべきで,動物小鳥でも単に口写しするようなものを人類いぜんホカに借りてやるのは“一所懸命な”労作であろう( じっさいには奪われており,致死率は高まる., )
仮に,その“言いかかり”側こそ私の認知し切れなかったものだったのなら,かのじょらの異常な言動または“無視”として突発的に取り付かなければいけないような論理は働いていたのであろう。あたかも“自分と”本来を犠牲にしながらみたいに詰まらないふりしたかのような。? たとえば路上の女子2人組だったとして,一々理解不能な言動のために本来の自由を損なったとしても,心理的の本質としては未解決である,. 無数の影響や自己介助の必要性ために,明晰に弁えなければならなかったこと..が,明日には死ぬほど増大するような危険になるとしたら,未だ免れ得ない。]

..これらの記しつつに,私は一度も“悔恨”を持ったことが無い。..一々悩ませた路上等のかれら? “しかりとばし”や,“げらげらわらい” -なんのことか-とは,反応しなくなった( -私が“あのものたち”をみたり投射的に二度とすることをやめた,遇然に対したかのような私の観念的な付与を- 少なくとも30年ぶりに。)
特記すべき“夢”は無くなっているように,あわれる自体からの“自動”ではなく[ 偶然性の終り,]もっと新しいただしい方法でなくてはいけない。

2024-05-22: “夢”の方向性(対称形としての)まとめ書き:

仮に,“夢”の方向性を;
これからの自発明晰に参照された
この手前より, )|( ,ある記憶との
;という基本形に(対称的に)書き分けてみた。
単的に言えば;
動的理性的
身体一致した )|( 精神的に顧みられる
-逆説的には;
不分明弁明可能
-(客観的に見た)状態と性質;
不明に停止しやすい )|( すべて明瞭となるまで

+ “精霊”に働きかける。
( 冗談ではなく,
自身の“霊”を夢見の介助-介抱役としてみる。
“渉り”と夢
..これは再開以後の話題となる。)
- 空腹と待望.,アイディア?

“精霊”ワードでの参照;

夢を止める-再 :2019-10-22,
霊体の終わりと復活 :2020-09-01,
( カテゴリー:心理,下段 )など

( 非表示ページ,ニセモノ側に関したカテゴリー等の例:
すべて音楽(自動)
暗示する表現 :2022-12-15,

- “精気”を扱う者が
時折に人格-異化されるおそれもあるので,“要”は注意.
偶然と論理,解離,不一致 :2023-07-24,
( カテゴリー:彼女-,下段
合成をしない.( 性-源 )との問題 :2019-04-21,