現在夢見の実践

2025-06-15:
(常に)もう一方に“ 現在夢見の実践 ”を賦活してみる。

2025-06-17:
..真夜中に営業しているマックスVへと(やや速足で)行ったのは例の図書等をコピー機に掛けるためだった。 -ある1ページ分の見当違いか間違いのような“ずれ”が遇ったが,計算上は予定通りに済んだ
*( チョプラ氏の“ The Big FIVE ”には幾らか面白い点が遇ったので,他アンチエイジングものと補足的に関連項目ごとに綴じて手洗い場に置いておけば,いつでも気分よく読み直せる。
例えば,ナッツ類のどれを選んだかはそれぞれ摂取等による健康効果に差が無かったなんて書いてあったりで,むしろ単純に(固めの物を噛み砕くという)咀嚼による効果などが顧みられていなかったんじゃないか?と思える。-食品ごとの特定成分に思い込みすぎたりすると,ある動体的の作用に気づかなかったかもしれない。 それと,ある運動のやり方をしたかしなかったかの違いよりも,先ず身体全体の緊縮-血行不良やリラックス-血行促進という理由でみたらいいと私は思った。 最初に肉体自律的であったなら.. )
このようなアンチエイジングに関する最近話題は主に健康用( 検索-メモ )中にファイルしてあります。

..再び歩きだした途端,視野と“粒子状”がみえた。-なにか内的不足のために充溢しようとするものが?( しかし満腹していたら動物は走ろうとしないだろう. )なんでかは解らなかったが,歩道際の家々側に近づきすぎたりその反対側の歩道に移ったりすると今にも不吉な印象が強まりそうな気がしてきたので,そちらへと渡ることができなかった。
なんだろう? それがもし別時間の私-自身だったのなら( それと知らず,その痕跡に乖離するとしたら- )何の気持ち悪さであったのか?
粒子状の中に見分けることも無かった。 ある児童遊具スペース際に歩きかかってその数メートル内側に無人ベンチの背もたれを見かけた瞬間,そこになにか座っているものが見えかけたのでは?( 粒子状のそれとして )と- 私は立ち止まって歩道側からすぐそこに眺めてみようとした。 -そこにいたのだろうか?
“気配”といえば私自身のものだという意味だろうし,私はもう何にも誰にも私の分身を持つ気は無かった。

2025-06-26:
..洗濯物の最中,視界のものすべてここにあるようだった。 これはこれで夢見のときみたいでもあった。

貼りつく視界 :2020-07-01
観念的な“貼りつき”:2025-03-14 / 小鳥と遺跡( 非表示ページ )

2025-07-08: 見たことの無い小道

..日曜日,失われた巨大ピラミッドの遺跡というテレビ番組が無料(宣伝)放送されていた。あのザヒハワス先生も語っていたものの,私は途中でねむくなってしまい,視てはいられなくなった。..視覚えの無い,無人の町内小道などに対面しているような印象ひとつひとつ遇ったが,なにがどのように合成されているのか分からなかった。 そのような“表れ”はあのテレビ番組内容への関心によって“通り路への探索”という動機で喚起されたのでは? しかし,それらが“ 遺跡 ”そのものではなく(私にとっての)通り道かのように視えたのはメタファーであったかもしれない。“ 失われた大ピラミッドの遺構 ”自体という,自身のたとえであったように..( “- like it ”は“ to be - ”ではない. )

2025-07-09:
身体的な同一化すべて一旦やめてみる。

(あらゆるものに)自我?自得だった-という見方は必然だった。 自分で自分をいうばかり-
-自身として同一化されているものは無神経な反応となる.,( 自己信用は要求の問題である )..つくられた夢を自ら救う? 土台違い-?
[ “誹謗-笑い” 自身と感覚した(一時期の)残酷であった。 “ 感覚 ”自体の間違いであったのなら,原因に遡及する以外無かった。 こう言うと繰り返しに過ぎるが,
二次的な(副次的発生したような)自己障害であったとしたら,これは心理的の問題であり,外的投影の影響とは起こらない。]

2025-07-10:
振り・想起・反芻.

2025-07-14:
..何かを手順通りに行ってきたのに( あたかも“ ぼんやり ”していたので )それに関して瞬間ずつを憶い出せない-というような場合,それらは先ず予め意識的に行われたかどうかよりも,記憶自体にまかされた慣習に依っている.

..( 齢とともに )ある直前の“ 憶い出された ”が--それ自体とは無関係な( ある内容自体との想起ではなく )それの直後に別のことと働きかける。 私はこれを夢見の条件付けに利用できると思った。
[ 要しない,“あと”の者ほど予め意志的に用立てるのむつかしくなる。 しかし,先端にあれば何かと振り返るのも無理だ。何々自身に持たない-だとしたら,“若い夢”といったものは無意味となる。
ある意味,光の速度で“進む”ものは相対的な時間とは関係できない( “宇宙の果て”は永遠の未来であり原初であるかもしれない。)]

私にとって“ 夢 ”とは先行している
( 反応的なニセモノは遅れてしまう- 言い返すものは幽霊だった. )
ある投影の影響自体に対して“反転”を問うは
過去とのヴァリエーション形“自身”とは容易であったけれども,
これから“自身”に向かうのではなく
( 先に‘ これは夢だ ’といっている )
現在点として先ず‘ 夢 ’という。

2025-07-18: 反転していた明晰夢見?

..なぜ“ 彼ら ”が私にとっての避難がましいネガティヴな側を反映したのか,何年間か私は理論的に読み解く必然と遇った。 土台,私は“ 夢見の実践 ”として初めから他者の言動を一々受けたりする気ではなかった。一方,小鳥のようにこちらの投影と応えたりする者も遇ったかも分からないが,宇宙にとっての個性が無いのなら“生きること”は動物-家畜同然なのに,これと気づかない者が存在できたのだろうか?
“彼ら”はバイアスの一方であり私への妨害者であった( -言い掛かりの殆んどが私にとって真逆の問題であった如く. )-それだから,以前何度か記してみたように,あなた方が発した言葉はあなた方自身のものだ-と言い切ることも可能だった( 一個人は完全な自己責任に基づいている-という人類的の意味で。)
しかし,“ 彼ら ”が反転側であったのなら,それら写しの動因は間違っていた( “彼ら”は悪夢の側そのものかもしれなかったが, )-いわば偶然の偶像性ばかりで,私は何も意図しなかったし,外的投影の要因自体が在ったとすれば,私が既に社会性の問題を放棄して50代らしく再び幼児以前に戻るというタームからを明確に一意識としなければいけなかった。
あるいは“ 彼ら ”とされていたものが,本来私自身としての明晰夢見の必然性であった筈の,そのネガティヴな奇妙な形と変じていたのだと- 私の動機自体に戻す方法としたら,“彼ら”ではなく( あらゆるキャラクター性へのマスターではなく, )実践の明晰夢見といえる,これの還元のみで現在できる。

[ 夢-自体による反転投影はそれ自体の現象かもしれなかったが,外的依存に過ぎない. 私は悪意自体を容認したことは無いし,人々をポルターガイストみたいに誘導する気など起こらなかった。
( むしろ,それらの乖離こそが無意識的な“現象”を生む-といったのはポルターガイスト理論であった。 ko-1-extras( 夢見の実践f:)/ CGユング等に関したファイル; )
-これらが“どう現象するか”といった目的からはやがてそれ自体との分離的であって.,たとえば20才代の独りマスターだった者が( お酒の味は実際にあれこれと試されなければならないというわけで- )交際を求めていくあいだそれらが外部的な要請と化しながら遠々と手前撤収できない-といった障害かのような.
-だから,目的自体とが一致していない-と( 先ず明確に自身に把握できていないうちに, )あたかも夢自体の動機によったので“私”はファントムに過ぎない.,そんな思えるとしたら先だしも.. ]

2025-07-29: 私は漕がなかった

夕方,図書館への行きがけに私は更にきれいな状態だった。 気温の上がった午後で,古い金属部品チェーンなどがわずかずつ膨張していたのか,私の体重のかかったペダルから突然また路面落下し片足先が引きずられて( 以前述べたように,サドル無しで半立ちだけなので, )ちょうど調理用の擦り下ろし板でショウガか何か削りかけたように右足親指を損傷したおそれも遇った。
私は踏み込めなかった。 昨日自ら述べたように“ 町内-角での回り込み ”にも更に慎重であろう.. 本能的に(視覚的に見えていなくても)自動的減速したり私の考えるよりも先に停止したりする場合( 不意に )その向こうから急な自転車が走りよぎる。
もし私が心理的な問題ではなく“(すべてに先んじる)先端スピード ”として走ろうとしていたなら,たぶん早いうちに死んだであろう。
私は物理的にか神経的にか走れなくなったのだから,むしろ一触即発といった同一念の問題として見た-といったべきだったか。
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私は最早“なにか”とは-しなかった。 観念的同一化-投影対象として( 世界-他人も無いかのように )反転していたばかりなら,私-自身だったのを回収できればいいじゃないか。
それは昨日までのことだった。

私は,卒然? すべてが反転から再び( あたかも何年かぶりに- )集中した。
あの“ 放射状線上 ”のすべては普段逆向きに投影されていた.,[ 一見外向き思弁は論理的に働くが,“夢”に遇っては脆弱であった。]
そしてあらゆる外的な思慮や観念から( 関心-引っ掛かりも,無為に- )戻ったようだ。
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あの貴重な一瞬のあと,思わず“ふきだしわらい”遇った-- やはりもあの中学生たちのものだったのではなかったのだろうか....

2025-08-06:
..今朝( 私は“夢”だとは思わなかった- )その夢のキャラクターたち全員に“ 私は一々のベクトルに乗りはしないし,ウソだ-とも言える。...まだ質問していないことが幾つもあっただろう ”と(いつに無く)ひとつひとつまともに言い答えさせようとしていた。それらは言わずに“笑った”が,私には無意味だった[ もし明晰夢見の場であったとしたら,私はそれとは告げなくても由来に辿ろうとこころみただろう。]
告げたり責めたりするのは私の目的ではないのだ。

参考カテゴリー: 回復