ふせんのゆめ

2022-06-18: 二度しなないゆめ?
昼間,寝ていたあいだに“大型空母が海上に曳き回されている..”という詰まらない,意味不明(真上からの絵だった.)夜,国際ニュースに中国の話題として遇った。このまえ,昼間に“I会長のモノクロ顔写真イメージ”が遇ったあと,夜中の自転車最中に不意に職質巡査からまた“イケダさん”呼ばわり遇ったあの場合(うんどう4-記録例, -最下段リンク)と同じパターンかもしれない。
[ いずれにも私の関心ではなく,早く武力放棄して今世紀をひたすら科学的に生き延びたらと言っておきたい。私はU国の侵攻される以前に(これも偶然に)私の自転車用LEDライト先端に青と黄の反射透過するプラスティックを2色に巻いて使っていた。私はU国の“こんかいのたたかい”にもドラマ性が働いていたと思うし,私からは他社の情勢に“写し身”本位にいってはいけない。 ]
“予知”と言えば( 私は知らなかったが, )一昨日のうちに“ 最近たつきさんの本に関する話題が出ていないな ”と思ったら,その翌朝,新聞に久しぶりに広告が出ていた。それに依ると今月NHKの朝番組でなにか放映されたそうだ。

2022-05-26:
昨夕なんでか路上男子2人の“わめき呼び”や“わらい拍手”があちらあちらに増えた(その2つのパターンは同時には無かった。)自由なので関心問題も起こらないといったように,私は最早なにも感じなかった。彼ら当人たちの理由があるのかどうか,私からは一度もわからない。
私は私-自身に人物的問題を持たないだろう。

2022-05-28: 分離の原則
私は漸く“彼らが自分らのセンシングを試すために路上でわざと私に拍手笑いやドヤ声を発していた”という見方を持った。私がそう考えなかったのは,仮に無意識-自動的に発するのでなければ私は他に対して決して試しごとにはしなかったからだ〔 そのようなやり方は私のような自由の側をきずつけころすだろう.,自身本当のベクトルや論理ではないと思ったなら,ただその通りに見分けるだけでいい。
もし私が“深刻に”といったら,彼らは最後まで“ウエウエ”いうだろうか?(この場合には私が彼らを誘導したになってしまう。むしろ“地球上の風土が合わないから私はやめる”という言い方は彼らには危険かもしれない.)それとも私は複数目当てに(乖離的に)“明晰夢見の実践コンテンツあります”といったべきだろうか。
このまえ再び紙看板ででも“めいせきゆめみのじっせん”12文字ぎりぎりでN駅前などに表示してみるというアイディアも遇った。私自身には内的おはなしよりもぜんぜん楽な普及方法だ(たとえわけのわからない脅迫的な言動に遇っても,私自身にはもう問題を持たないからだ。但し,私は今更楽しいわけではないのでキャラクター本位の面白がり方には二度と合わない。)〕

2022-06-03:
朝方,寝床に就きかけた瞬間,無人のあかるい浅い水辺に建てられたかのような(古風な)木製屋敷。その水の上に続いた通路のような形( こちらの物思いとは全然無関係に, )繰り返し,少しずつ角度の違った形にみえた。
午後(夢:)自動販売機の前に立ってみている。あたかもあの飲料缶かなにかの落ちたような振動音(その毎回,繰り返し.)
小さなプラスティックの円形カップ,上面の膜が剥がされる。中身は白いクリームみたいな液体。コーヒー用?

2022-06-04:
..施設内通路のような所。一室に大人しそうな女性ひとりが立っていて私になにか言いかけた。私は“なんておっしゃったんですか?”と聞き返した。彼女はそこに写真プリント等を指し示すようにして見せた。その最初に,ジーンズ姿の若い男たち( 一瞬,その左側に大きめに写っていた,親類のような顔にもみえるが,どこかとのハーフみたいな横顔,瞳には動物のそれのような照り返し. )
私は一枚ずつ下に送りながら見た。ある場面の連続写真のように,木造家屋の前に,その2階あたりからだれか両手を横に開いた下向きの矢印みたいな姿勢で,真っ逆さまに落ちていく処。

(“音”感覚:)電動回転ノコギリの止まる瞬間のような音。
電話機の呼び出し音のような音。

2022-06-05:
(夢:)ある有名男性俳優Dの顔。その度に“類人猿”と称していた。が,その顔は似ていなかった。

2022-06-07:
( 半能動的イメージ: )ヨーロッパの城壁みたいな少しずつ窓の付いた壁面,上下逆さの造りであるかのようにその上側が広がって,(こちらの想像の中で)それは次第に上空へと天地逆さまに大きく連なって,見えなくなる。

2022-06-08:
私は昨夜まで自転車ルート用の“交差点名”など記憶-書き出ししていた。今回のそれは今週中の変更点など含めて約50個,各頭文字の音読など語呂合わせと地図イメージとの組み合わせで,ある読書作業のように,道路等に依存してはいた。
テーブル上に置いてあったそれら私の書き出しの一枚を私は何気無く開いて視た一瞬,そこに“宮”という漢字が遇ったかのように映った。しかし,すぐに“いや,そこにはその文字の町名は一度も無かった筈だ”と思い直した。私はどうしてもそれらにいっぺんに憶い出すような想起のやり方は難しいのではないか?と思っていたが( その中に,ある特定文字名が在ったか無かったか )即座に言えるのだとしたら,記憶に関して一応トータルなイメージは存在し得るのでは?
私の記憶想起の慣習には障害が遭ったのだろうか。
このまえザドラとスティックゴールドの“夢を見るとき脳は(When Brains Dream)”にもそのような記憶とのテスト問題に関してなにか書かれて遇った。先日クリストフコッホの専門的説明の付かないエッセイ型よりはまともそうだったが,私はどうしてか読み進めなかったので“NextUp”と書かれてあった方法論的な部分だけを跳ばして一旦返した。

うんどう4 :2022-03-27