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影響

2023-03-06:
寝際に今一度‘ 夢だ ’と( 以前の言葉でのお唱えにはしないように )私の優先してみた。
〔 “これは夢だ”式では状態的の掛かりが無い。“これは-”と言ったらば“ これ ”自体との問題で,“これ”自体の再生無しには有り得ない。状態とは,なんらかの記憶に過ぎない。どのみち,‘ 夢 ’とは意と的でなければ無意味だ。常に再帰できる方法が必然だ。〕

(1) “ エレベーターの室 ”
..再び“エレヴェーター”箱に入った。その内側も木目模様の滑らかな面。今度そこに男2人いた。構わないで私は対向の板面にみる。完全な面に,やはり幾つかの長方形に切れ目がみえた。私は手でその長方形の片側を押し込む。( 直前の“箱”内では,その同様の部分等はラッチのように開いて,私の両手でその開いた部分2つに掛けて戸をスライドさせると,次の間へと通れた。)
その板を持ち上げた処( その部分も全て同じ木目調のみ )幾つか凸板の縦列した押しボタンのような形にみえた。私は“ 最深部をみてやろう ”という意識でその最下を押した。

〔 意識的な働きの所為か,動きだすまえに私の目が覚めた。
起床直後,私は‘ 夢だ ’に着いて更に右手との意識として自乗してみた。
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前日,私はインターネット端末の機会に,例の不明なワードなどを検索してみた。ある語源辞典ページ表示(その文字の背景)長方形-板面の斜めに隙間無く組み合わされたような画像パターンが用いられてあった。私も昔ホームページに無限パターンの背景画像を貼っていたので,手作り感覚のやや固い印象は懐かしかった。それは明るい階調だったが,私とあの夢での“一面”は(木目だとしても)暗い硬い材のようだった。
“嵌め板”の緻密な合わせ目には,あの画像パターンとの印象は影響したかも判らない( その夢その場での私は考え付かなかったのだから,その点には私の意識的ではなかった. )
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日頃に口先で“これは夢だ,明晰夢見は最優先-”と言ったが,一途よりも単に周縁化されていた。私は‘ 意と ’いいながら,あたかも不自由なひとのようだった。私は無用な“感情”や“妄念”すべてにただ条件点けようとしたが,それら自身との煩雑さであった。〕

(夢)?=(夢)

昼間,私の暗がりに,あたかも器のパスタを左右にゆっくりと回しかけては戻すような動作の絵がみえた( 私の普段の食べ方には無い仕草。)

(2) “ 階段 ”
〔 自転車での,ある上りの坂道に似ていた( その夜道の暗さ, )その手前では普通にペダリングで上がろうとする慣習に因っていた。〕
..道路に上がりかけた処,急に階段の形が現れたかのように視界に入った。慣習的な動作で,こちらの体一方に両手で自転車を持ち上げて早足にステップした。視界左側アパートメントか何かの建物がみえたが,こちらの上がり切った途端,そこは町内ルートから外れたかのように真っ暗だ。
その一瞬間,私は“ 見なければいけない ”と慌てたが(咄嗟に視界を働かせようと意識して)なにも起こらなかった。その“ 状況 ”自体に囚われているのは自明だったが,あたかも“周り”に無い中で( 急に,なにかを感覚しようと試みなければならないかのように )身体は急速回転した。真っ暗の最中“身体ごと飛行する”という案が浮かんだものの,私の試みとしては無意味だ。

〔 この一瞬の“夢”から覚めた直後も,私は未だその“状況”に慌てたかのように,冷静な機転の利かない状態に遭った。暗闇,その“場”には手掛かりも無くなったからだ。足下に何も見当たらなければ,ひとつ身体ごと“そこに”立っている意味は無い。
もし過去の“感情”だとしたら,これ自体に‘ 夢見 ’案件とする加乗的トレーニングも可能だった。〕

夜,私の右手を敢えて使った瞬間に( ある時々に忘れてしまっていても )自動的に‘ 意と ’憶い出された。この右手は復活しなければならないので,意識的-関係の傾向が強いのだろう。
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なぜ憶い出せない?(再録;)2020-12-15

2023-03-03:
ぜんぶの気になることは,泡の表面に過ぎない( やじり,消えていく. )
私は他者に“感じる”センスは偽ものだったと思う( 人の世に信じるは無意味. )
“じさつ”という言い回しは偽者の価値だ。

2023-03-04: ‘私-明晰’と“自動-性”
明晰の私,自動性.
明晰の私と自動性.
私の明晰と自動性.
私-明晰と自動-性.

反抗していたもの
夕方,図書館の手前で“笑い集団”遇った。私は処しようも無かったが,なんでか“ありがとうございます.”( そのとき私は‘サドル無しで走っている自転車が面白いのだろうか’と思った。おはなしは“それは向こうのだよ”と返したが., )私が従来“彼らへの怒り”だと見なしていた反応は,なにか別のものだった[ 私に衝くすべて,私自身だった. ]- “怒り”こそ無関係な反省か,言い訳だった。
平然,私自身の自然環境に抗していたのだと思った。私が私であり,他のものではなかった( なにも-おさなかった )
なにかに“対抗すること,” - 私の自然にとっての反抗だった。

私が視ていたもの
私が周りに注意深くいなければ無かった理由は,明瞭な夢見のゆえだった( もし“ 症状 ”という程であったなら,おそらく必ず見えない原素の問題が遭っただろうように. )しかし,同時に反映されていたかもしれない“反対”に,対称的に向き返さなければならなかったのだとしたら,これこそ自覚の無い演じのようだった。
(いつも)私のものではなかった。

[ 付記( 施策:)わざと怒ったように怒ってみる( ある感情を演じてみる。)

夜,不意な“真っ黒い虹”という聞き慣れないワードが遇った。おはなしでは,それは以前“鈴鹿山麓(山脈)”言っていたのと同源だという。数年以前,いつか自転車で南知多か湾の反対側へと行けるだろうかと簡単に地図をみていたが,“鈴鹿”というワードの度に,私-自身の関係だとは思えなかった。

2023-03-05:
すべては悪夢である。