番外(無題,仮)

2023-08-18: “取り込み”消費
一々“周りのもの”を吸い取ろうとするだけでは逆に消費ばかりで,仮に刺激や要求を‘若さ’と取り違えなければ,“利用”の関係性は無くなる。

午後,市立図書館は第3金曜-休み。私は“それは来週..”といった言葉をも無視して県図書館に例のバッハ“ 無伴奏チェロ組曲 ”などを借りに行った。ロスコヴェッツという奏者のファゴット演奏版(2011)が遇った。あのテレビCMの音にちょっと似ているが,ああ!管楽器では多重音の部分は無理なのか!(息継ぎも難しそう,)それはそれとして,私が再聴していたリンハレルのあのプレリュード演奏とはちょっと違う部分は遇った( 私は譜を読めないので最近音だけの記憶で口笛で吹きかけてみたが,途中一旦休止した処からの後半部分は難しくて未だトレースしきれない。)
開架からは,ガイレシジュナー著“ 眠りがもたらす奇怪な出来事(THE NOCTURNAL BRAIN, 2019)”一冊だけ。睡眠障害が専門の神経科医だという。今週偶々“明晰夢”関連のワードで検索してみたら,その翻訳本から“ インセプション ”と題された章節が数ページだけ画像化されていたが,ぜんぜん意味不明だった。まだ読めるかどうか,わからない。

2023-08-19: 青臭い心象
15時過ぎに(寝起きから)鏡にみた顔が少し若いときのようにみえる。私が再び“ 視よう ”に条件点ける必要を覚えたが,“明晰夢”意欲も湧いてはこない。( 先週,“予知イメージ-?”としてアップできそうな日記を既に置いてあるものの,少なくとも来週まで他との予定やこちら自身の兼ね合いで未だ出せない。)
なにか,アルバイト面接を受けては一言ずつで落っことされたというような,悄然と気落ちさせるというよりは,あるシステムに言い様も無く無能と決めつけられた,どう仕様も無い-といったような,青臭い心象( まさに“しょうもない”といった言い回しも返った. )私-自身の記憶的なメタファーだといえば,カフカのお話みたいにそれはシステム自体であり,ジサツへの道のようである( させるのではなく,自身の問題としてそうする以外に無いからだ。それはもう一方の側でもある. )
しかし,私はそれも身体的な状態との問題ではないかと思った。
[ 昨夜,私は(何年間か会っていない“親類”の前から,半ば自ら)“(私自身が)薄暮の夕闇の中へと自動的に後じさるように無言で遠ざかっていく”というイメージを持った。昨日“ 無伴奏チェロ組曲 ”に関して再び書きかけたとき,私は昔“ 震える舌 ”という映画にその曲が掛かっていたのを(その曲を聴いた最初だったのだろう-と)書いては消した。そのような些細な記憶もその当時のわたし自身として影響していたのかもしれない。
あるいは,“霊感”のようなものか。仮に知り合いの誰かが亡くなったりした瞬間に(離れていて直接会っていなくても)“非常に憂鬱にさせるような感じ”を持ったりするひとの体験など,以前紹介の本に読んだりしたこともあった。そのような“感覚”の所為で不意に間違ったような心象を持ったと思う場合も遭ったかもしれない.. ]

2023-08-19:
昨日,そう言えば“藤原真理”名の無伴奏チェロ組曲も棚に置かれて遇ったが,私はピエールフルニエというフランス名が目に留まったのと,もう一枚私がその棚から手に取り出しかけた瞬間に,なぜだか解らないが“ それ,好きだよ.. ”と即おはなしが言ったので( あとで私が気に入る処がある? )試しに借りてきた,ミーシャマイスキーという奏者名だった。聴いていない。

今夕の検索予定項目は“ 脈拍 ”であった。
夜,私は食事の直後に脈拍72に上がっているのを(初めて)知った。昼間,安静時に数えてみたら50くらいだったので,私は安心して“(もう二度と無理な自転車坂道もしないで)なるべく穏やかに激さないお坊さんみたいに大人しく寿命を伸ばそう ”という最近の思いをフィジカル的に一致させようとしていた。昔,小さい動物も大きい動物も一生の総心拍数は同じなんだよと言いはじめたテレビ番組にパッとしたように,タイムストリート,いや,時間のスケールは各個に伸縮する可能性も在るのかな-と(あのとき)漸く思った。
欲求のすること,食べることも,肉体運動の一種なのだとしたら..

例の“ 第13章 インセプション ”だけ読んでみた。ナルコレプシー患者C,しかし,その夢見傾向は( 性的目的ではなく )少年時代そのものへの回帰だったと見た点は(私には)良かった。彼の明晰夢がちょっとだけ簡単に述べられた部分は,単純に彼自身の行動の可能性として語られたものだろう[ だからこそ,“夢見者”は特別であり,人々には危険も遭った。]が,..(私は)もう夢にも日常にも“私の-”という定則的な願望を信用しないだろうとも思った。
重要なものはいつも過去に置かれているのではなく,この先にあるのだから。

2023-08-22: “ 合成 ”
“ 第9章 宙に浮かぶ無数の目玉 ” ページ少なめなので,次に読んでみた。
24歳のエヴリンは学生になって以来(夜間)幻覚におそわれていた。たとえば,無数大小の目玉は銀河系のように周りに浮かんで覗き込んだ。
[ そう読んだら,昔わたしは雑誌などの人物写真から“目”だけを切り抜いて(それらの密集したような)コラージュ絵を貼ったのが憶い出された。]
エヴリンはベッド上で身体の麻痺と“ 何かの力がのしかかってくるような感じ ”を覚えた。
[ その一節すぐあとに,なぜだか“ 夢魔 ”という有名なフュースリの絵画について述べられて遇った。ベッドに横たわった婦人の上に妖怪か何かが乗っかっている,あの絵のことだろう。私は“ 夜に訪れる恐怖(The terror that comes in the night, 1989)”という本に読んだときにあの絵その表紙で,例の馬の目玉について日記に書いたのだが,私の当時フュースリーのと記した憶えは無く,おそらくゴヤの作品だと思い込んでいた。
あの本自体は“オールドハグ(夜,寝床で身体上のしかかるお婆さん-?)”に関して幾つか聞き取った,というような内容だったろうか。そう言えばフォークロアの扱いだったようだ。
“夢魔”に関して,夢見の実践f:資料ファイル編(ko-1-extras.)2018年頃の日記からの採録-3に,“ 夢魔 -内部空間からの来訪者 / スタン・グーチ ”読書との部分と,当時の夢記録等がある。]
その章には脳内特定部位とのネットワークに関してラマチャンドラン博士などの説が簡単に語られていた。そのような分解的な見方なので,私の目指した実践的夢見の方法論に繋がる点は無いと思った。
イメージの心理的にみれば,たとえばエヴリンが大学や仕事で忙しくなった時期にそのような“ 幻覚 ”始まったこと,環境的な条件の変化などから,当時それらがどのように発生する可能性であったのか,大体判断付いたのでは..?
私は,最近(ある一瞬の直前に遇った,視覚的印象などから-)その直後の想像に,それがひとつに合成されたりしている-と気付いた。例えば,直前に“とても太った体つき”の絵が遇った。その直後,こちらのイメージに別の女性姿が映ったが,それは一瞬にあの肥満体型に変わっていた。夢見の目標は“ある物”という視覚的像に依拠する場合が多いのだが.,絵だけでなく,心象やその場的な心理に於いても,(あたかも,まえのことをあとのことといった-)そんな“ 合成 ”は常に起こっているのでは。

2023-08-25:
藤原真理の82年-84年録音と記された“ 無伴奏チェロ組曲(BWV1007-)”聴いてみる ..昔聴いた音のようだ。そのちょっとのあいだ,今日の予定や時間を忘れたようだった。一昨日聴いてみたミッシャマイスキーの録音には優しげな心象だったのと比較して,温かい音色。
曲は違うが,“ 惑星ソラリス ”あの水辺の絵が憶い出された。

“ 眠りがもたらす奇怪な出来事 ”13章,9章から,次に(“ コーヒーの覚醒効果 ”と題された)第11章。
ある“夢遊食事症”男性の例。離婚した親たちとの環境-遺伝的な要素も示されてはいたが,彼のみた(記憶には無かった,睡眠中行動)食べ物にはヨーグルトやチーズが多かったという。彼の精神分析医は大いに関心を持ったというのだが,私からはその点に思い付かなかったので,その推理にハッとさせられた。
一瞬に私は,あの“世田谷一家事件”-証拠物のひとつとして“アイスクリームカップ4つ”遇ったと憶い出された。おそらく犯人がそれらを直接片手に握って中身を食べたのだろうと言われていた。あるいは,いや-そんな物は無かった-といった非難もあっただろう( 私はあのファイルと言った時に既に“一家事件”と思う処あったので,そのタイトルだったが,私からは具体的な“現場”という表現を一度も使えなかった. だが,“もしどこかに犯人がいたとしても,記憶を持っていないか,失っているとしたら..”と思ったことはあった。)
無論,私にはあの事件名が先ず“発達障害”という一言に訳されていたように,家庭的な関係とはどのように影響してはいないのか,質問意見である( まるで“事件”みたように言う者ほど,自身のドラマに転倒している-といっただろう. )
あたかも,昼光の直中に居ながら暗がりみたかのような。
[ それはそれだとしても,レシジュナー(Guy Leschziner)著は神経科系からなので,症状等に関して心理学的な言い方は無い。例えば,その第11章の一節は次のようであった;
夜食症候群による摂食は、しばしば周期性四肢運動異常症に伴って生じるむずむず脚に強く結びついており、単に目覚めている時間を、何かをしてつぶそうとする行為ではない。純粋な不眠症者ははるかに多くの時間を目覚めたまま過ごすが,彼らにはそのような行動はめったに見られない。夜食症候群とRLS(むずむず脚症候群)の類似性を指摘する研究者もいる。どちらの疾患にも、いわば痒いところをかこうとする強迫的な衝動が伴われ、その衝動は実際にそうする他なくなるまで次第に高まっていく。同様に夜食症候群の場合も、「痒み」は食べる必要性のことであり、それが満たされるまでその衝動が高まっていく。事実、RLSの治療によって夜食症候群の症状も改善する。RLSの標準的な治療薬であるドーパミン受容体作動薬は、買い物、ギャンブル、過剰な性行為などの日中の強迫的な行動を引き起こす場合があるのと同様、夜食症候群の発症に寄与しているのではないかと言われることもある。しかし、夜食症候群の治療でのドーパミン受容体作動薬の使用を支持する証拠がある。また、この夜間の強迫的な摂食行動が、RLSに起因する概日リズムの乱れの結果生じる場合があることを示す証拠も得られている。
..
;また,( 夢見の実践f:資料ファイル編に, )同題本からの,第8章 喉もとをつかまれる / 第7章 ざわめくハチよりの引用抜粋あり。

午後,私は無闇矢鱈と出かけたがる子をやめた( -じこっている?と思ったなら,即停止するべき。)明晰夢や長寿を含めて何冊か読んでみたい図書もあるのだが,貸出中や,私は未だ化学式に至っていなくて難解のレヴェルなので開けない-など。