My Eyes are Open.

2020-10-24: “ 見れない ”右目
偶々私のN図書館に,例の間々田先生“ 顔ヨガ ”写真ブックがひとつだけ借りてみた。昨日まで“ My Eyes are Open. ”はいなくなったかの( あいだのQ? )少年時代にいつも眼瞼-両目蓋が動かなかったのか,額に一過性の溝々がいつのまにか定着してしまった。“ 顔面スキルケア ”本などの言った通り,“ 見上げる時に眉上を引き上げる癖. ”が伴ってしまうので( 先生の“ 下瞼上げ ”写真では一見おもしろく簡単そうにみえるが, )やってみると,わたしは未だに両眼だけを上向けるのが難しい。このような記憶された“ 抵抗 ”の例について,考えてみる良い機会だ。-今いちど幼児期までの心理( 体験-記憶 )について,再生が必要-優先か?というターム.
私の左側は右側よりも開き易いので( 顔筋-体操してみると直後 )瞳が丸ごと遮蔽無しに写ってみえる。私は先ず‘ これが手強くみえるのは,目蓋が瞳に掛かってみえるとそれが“ 自己愛撫性 ”と想起させるからだ。’と気付いた。(“ 小学校のグラウンド ”あの陽射し眩しさに反ってわたしの両目を開いていられなかった時, )きっとそのなにかを直視できなかった?
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私は“ 夜 ”の中にいた。
私は今あの“ 見れない ”右目で見ようとしている( より本能的に。)おはなしは“ うちの父に連れられて歩いた ”時のなにかを言っていた。おそらくその時それがいやだったので右側なにかを避けるようになったというのだろう( ,私のイメージには無い。)
あるいは,この右目の可能性が‘ 夢 ’と直結しているか。

午後,寝床にて,私の‘ 右手にペンを持ってみよう ’としたら,室内あのペンが無い。
では,‘ この右手にペン持っている。’とイメージしてみよう。..赤い円に白い棒線-( 暗がりに )“ 進入禁止 ”標識?
例えば“ 両目-下目蓋が分からない ”という身体感覚の不明は,私にとっては“ 両足のどこが動かない ”という応対点だともおもわれる( 神経的に連動する可能性。私の使われていない筋肉等については当初ボディ関連エクササイズ話題として以前記してはいた。)それにしなくても,先ず‘ 体の中心から動く ’といういきが良いのだろう。
これ同様に,“ 夢 ”のそれ自動的な表れがなんの連関なのか,未だ完全には分からない..

2020-10-25:
夕暮れまえ迄に出掛けられたらと思ったが( 陽射し焼け除けの必然があった。一時期あとにもう少しお金が足りていたら,ピコセカンドレーザーかイオン導入などの宅用コスパ版も使ってみたかった。もはや即席覆面姿に笑う子たちというには構っていられないが,じきに飛沫感染や光-老化というリスクへの警鐘自身であろう。)何日間か体の疲労感が続いている。私は起きられなくて( 一度,咳とくしゃみとが一緒に出たかのような“ 体の疑似的感覚 ”だけが遇った。覚醒時にこのような“ 再現 ”が起こるとは,私には稀なので不思議だ。)
また夜だった。まえの寝かけのあいだに,私の意識は在ったが,( 物理的な視覚とは別に,何度も,あたかも,おはなしの代わりに )なにかが途切れ無しに視覚的な絵として遇ったかのようだった。が,同時に私はそれらとは隔たれていたかのようで,( 覚醒時に起こる同時の白昼夢みたいな )別の夢のようでも遇った。体力的には寒さに弱ったという感じだが,両眼-下アップのために寝床しらずしらず体自体まで突っ張って“ 私は寝ていた ”からか,( いわゆるムンクの顔,私は“( 下層 )筋肉を動かす方法 ”があればと思う。そう言えば,案外“ -叫び ”の方が“ 無表情 ”よりも健康美容に良さそうだ。)不意にお尻の小さくなった効果で,日の出をみない自転車時には,軽快さがいい。
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私は今日ペン回しには親指を介添えに,人差し指の基点で回してみている( ペン自体のプロペリングさせるというは私の誤解に基づいていた,という一個的ヒストリー. ).このやり方では,一見ちょうどその逆回転とのリバースとみえる。

〔( 去年“ 能力研究 ”私が読んだ本などからのコピー紙束を枕元にみて,, )そのファイル等が私をみたのであって,私がなにかを見たのではない。しかし,このような“ 反応 ”の起序はおそらく直前からの別の感情かその記憶が元で,あたかもあとの偶々なにか無関係な面に“ すり替わって ”いる。〕

‘ 反転 ’の原理? :2019-05-09 -

2020-10-27:
前述のようにペン回しをやっていて私は,右手-中指以降にペン端をうまく動かせないと判明した。左手の対称部分との比較してみると,その感覚の弱い,薬指うごかないようだ。( -私その“ 動作 ”自体に注目しながらやろうとすると,失敗-落下率は増える.さては“ 魔法の絨毯 ”か,“ おかあさんといっしょ ”練習が要るのか? しかし,親指で次の指へとペンを回しかける場合には,中指のためにその親指は早く離れた方が良い。)
これらは夢だ ’とスペース総合し言う場( -もはや“ 外界化 ”は無意味であるから, )この一瞬毎に数字表示カウンターでも押してみようかという案もあった( ‘ 今,夢なら- ’と憶い出したら, )これの頻度を。これの数が上がれば,睡眠夢に対していよいよ有効となるだろう。

両目自体みる。

夜,街路上の光景に目を向けて視ようとした時,私はすべてにあの“ 私物化 ”できなくなっていたのだと,あらためて反省した。
‘ 外在はすべて投影である ’という還元説で見れば,私がもしと目に富めるものは私の投影物だけだ。‘ あの少年たち ’が気に掛かったというなら,それ自体は過ぎなかった,自然という意味での“ 私物 ”なら。
完全のために( 意識レヴェルを‘ 私自身受けない ’にまで上げる- );2018-06-02
( -いつも“ 警察が必要だ!”と言うひとは“ 霊感 ”性でもあり,DT氏のように“ 赤ちゃん言葉 ”を厭わない( 私はこのまえテニス選手N-Oの看板業にはいっぺんも支持しなかった。実力選手だったなら,地球的な試合に出られること自体が“ 人種偏重 ”の無意味を表しただろうから。)一般に彼が“ 科学否定側 ”だと謂われるのは側面である。昨年中なんでか“ バイデン ”という名が度々おはなし側に意味不明と遇ったが,私は今回大統領選には前回“ ヒラリーの不誠実 ”といったのと同然だと思う。)

-( 再び )あらゆる注意の瞬間に条件づける。
〔 注-意の焦点がどこにあるのか,それ神経的な障害なのか,自ら判断してみる。
私の注意焦点は‘ 夢と自覚 ’に在ったので,逆に外因的に見ようとした02年以後,判読に依る“ 記述 ”は,むしろ“ ペン自体 ”のポテンシャルを無視して空間的に表そうとするようなやり方だった
(;遠慮がちに言えば,ある瞬間 )それ自体の“ ポテンシャル ”があり,左手側には無い。あきらかに,右側のこれは“ 投射的 ”性向である。)〕

2020-10-29: さるのひとこと,( “ すべるペン. ” )
今夕,女の子の一方的な“ 名前呼び ”が路上や店内に遇ったが,どれも( もうグループではなく )単独だった。かれらが“ オバサン側 ”を敢えてやるような理由はこちらには無い。私は嫌がらせを受けないように,更に‘ 私-自身から離脱する ’;非-同一化するという方法を採った( あたかも心理的な“ 体外離脱 ”といったかのように. )
昔学校の水泳プールでひとり溺れかかった時,かれらは助けようとしなかったが,今あれは“ オバサンら ”にはショックだったという。それが原因だったのか,それだからだったのか-( 適者生存の論理から言えば,10才以前にいなくなった同級生のように“ 水死 ”したのだろう.私はトモダチを持たなかったが,“ ××ちゃん ”と呼ばれはじめた時,それは既にニセモノであった。
近所のTくんという同級生がわたしの帰り道に歩いた時,わたしに称してか,“ みずすまし ”という語を言った。彼がそのなんなのかを言えないのも問題だったが,私の直観では“ 母親 ”たちの原因であった. )それは,詰まらなくても,おそらくも私といいながら常に自殺的な危機に遭ったことの,ある本質でも遇った。
旅先では,ある夜,バス車内でモラットと名乗った自称教員が,“ 日本では,水上に家々があるそうですね. ”と言った。わたしは即-物的にみて東南アジアかどこかの別イメージを言ったのかと不思議だった。例えば[あるテレビ番組]水上小屋に孤独そうな“ 現在では数少ない,素潜り魚狩りの- ”老人がいる.そのお話に( -あるとき,ひとりで潜っていたところ )その水中向こうに,だれか別の男が,その狩りの道具とともに先にいくのがみえた,という。
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今更‘ 私の起源 ’をしろうとしないでたださるのままに“ プロです ”と押しえる,危険な業だ。

2020-10-30:
夜,スーパーマーケット内でキャベツ半分半額など視ていたあいだに,いっぺんだけ“ 先生. ”と( どこからか,おはなし側に )呼ばれた。

2020-10-31: 右“ 引っ込み思案 ”の終わり:
午前2時.鏡に映ったその顔,“ 右目の引っ込み ”を直そうと,この右眼自体を出そうと意図してみる。右眼は再びこれ自体となった。ペン回し試してみると,これも‘ ひとつ ’できる。( これ自体には“ 意欲 ”という言い方は合わない. )
昨夜,“ 上唇挙筋じょうしん-きょきん ”という検索ワードとなった( 解剖学的に立体が視覚化できたなら? “ 整筋-顔体 ”という本が紹介されて遇ったが,近隣図書館等蔵書としてのそれらは貸出中-予約多数? )私には顔面EMSキットのお金は無いので,筋肉自動的( これも体の部分どれかと連動できる可能性。)

通路正面イメージ( 一瞬 ): カラフルな玩具か雑貨のような小さな物品等のいっぱいに詰まった棚がその通路-両側,行き当たり面。

午前中の終わり.R付きの窓枠?( ある時代に喫茶店の前面に遇ったようなスタイル. )“ 錦口にしきぐちに在った,40年程まえ. ”と言ったが,なにかの印象的な“ 翻訳 ”なのか? 私は知らないが,“ さかえ ”や“ 銀座 ”という呼び名は昔どの街にもあったようだ。
R縁デザインの窓周りと言えば,ちょうど( 昨夜自転車での帰り道 )以前あのおはなしの町名に見に行ってみた時の小アパートメントを想わせる建物が視界に遇った( -私の目が偶然あのアパートメント建物に向かう理由も(,表面的には意識されていない )が記憶であろう。私のいつのまにか薄暗い中で,その通り道は違っていた.途中,不慣れな住宅地に数m幅も無いような狭い路地等まっすぐと,予めその升目の3方向に沿った見当だけでは見通しの効かない町内.,未だに県道との位置関係が無いので,あのスーパーマーケットが見当たらない場合も多い。これは右手-中指が“ うまく動かない ”というのと同じ問題だ. )
前夜私はあの狭い町内通り途中に漸く‘ この辺かな ’と自動的判断を利かして左折した。まっすぐ西側へと行くとあのY店舗-駐車場の灯りがみえた。少しずつでも“ 憶い出せる ”頻度は高まっている;
( ..玉ねぎの値段札が前回より30円も高く書かれてあるのかとみえて一瞬,その箱にまた“ 見れなく ”なってしまう? )

ここまで‘ 夢見 ’記録に繋がらなかったという問題でもあるのだけれど,夕方出掛けるまえに体が震える程に急な冷えが感じられたので,落ち着いていようと決めた。( 名古屋市内にも感染者数が急増している. )

2020-11-01:
・ 未来のときを数える( 先へと意図する。