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“ 木影 ”

2018-06-31:
夜中、私は夢現ゆめうつつに性的なもの想いと遇った。私は私のその意識自体には眠ったようには思われなかった。
ある一瞬、それがきっかけで遇ったかのように、( 私が体を寝かせていた居間-傍の押入れ部分に見上げたようなアングル,しかし不意の映像として )その襖の白っぽい表面に急に木陰の揺れ動いたような“ 影 ”という( 有り得ない )イメージ! 
私はやはり直前の性的なもの想いが‘ 跳ねるヘアー状 ’の場合のように惹起したか〔 以前の“ イメージノート ”収録-記録例では、私は度々“ 視界に虫のような影 ”に関してなんらかの心理的きっかけがあるとみていた 〕。
このまえの自覚的の‘ ネジと見えないネジ回し ’場面そのものと同種ではなかったか? 〔 なぜ“ 風に揺れる木の影 ”だったのかは判らないが,まえの夕方かそのあとに私が道端-路上に物影を一瞬-印象的にみれたので、それが影響的に有効だったのでは、と私は思った( 私の心理的にはそれが‘ 物自体ではなく、その影またはその合成されたという印象 ’として、夢-作用を促進するという意味で )。
今週、夏季によくある、街の上空から北-北東へと移動しながら明滅し続ける雷電という気象も久しぶりだったが、昨年8月あの夕方の凄い雷電と比べれば寝着きのインパクトにはならなかった。私はその前回当時から考えなかったが、このような効果は私が昔使っていたライト点滅装置の光による刺激と全く同じ類いではないか? ただ、天然現象の方が大きくて、より印象的だという違いは遇ったが。 〕
:( “ 影 ”は映っているがその物がその場に見えない- 夢の例, )
羊毛とネジ,2018-05-27

- ある道具の置き場所を想いだすには、‘ 最後にそれを使った場所 ’という。

2018-07-01:
- 私の右足-薬指-連繋を対応させる。
今回放映の“ メンタリスト ”例の毎度パターンに拠る犯人当ては今回簡単だったが、私には“ グループ的-組織的 ”という文脈は無かったので( 認知言語学に単に語-節上での読み方をするというのと同じで、私は私自身をリズボンの匂いにはしない )わからなかった。私はこのまえまで“ テレサ ”と言わずに“ リズボンちゃん ”とキャラクター化したかのように呼んでいた。
そして今私は“ オケちゃん ”呼ばわりの本質がなんなのか解った。詰まり、“ オケダさん ”こそ私が借りていたものだった。
私のおはなしでは“ はやぶさ2号 ”は失敗したことになっていた。一昨日その探査機関連の話題から、私は“ ESA ”と発音したつもりが、なぜだかその度に“ EPA ”と発音していた。それで私は今夕帰り路に久しぶりに自販機100円の“ 力水ちからみず ”を買って飲んだ。私はサプリメントものの効用で“ 明晰夢 見れる ”というやり方は依存的だと偏見を持っていたので、私はこれを‘ 夢 ’と結び付けない。単に私の脳内連結は“ この2週間のあいだに,少しずつ ”まともになっているからだ。
( “ 横江 ”の名前がある。記憶連繋なら、私が昔フジカラーSの休憩室かどこかで社員の彼女が特にビタミン等を採っているという話を一度聞いたのが原因だろう。私はそこに勤めていた頃に毎日“ 力水 ”を飲んでいた。しかし、私は彼女の個人名を知らなかった ) - 私がこの段落を読み直し更正しているあいだに、右足小指が不意に楽になったように動いた。

2018-07-02:
午前、私の右側-歯列には噛み合わせの着いていない部分がある。それで、私は食べるときに敢えて左右対称に着けてみようとした。それでも、私が指先だけを動かそうとした場合のように、実感-感覚は湧かない。
午後、私は右半身の通じにくい脈絡を意識して辿ろうとした( 私の右肘-先と右脇腹とを着けて感覚しようと )が一瞬、急にその右目蓋だけがとてもくたびれたときのような感じとともに自動的に閉じてしまった。こんなことは初めてだ。
私はこのような‘ 疲労感 ’は記憶の一種( 状態-再現 )ではないか?と思っていた。,例えば昔の射精時に原因があるかもしれないと( 最初は偶然だったので私には問題無かった. あとで中学校の教員がグラウンドでの朝礼時間に私が陽射しにとても眩しそうに顔をしかめて汗をかいているとわざわざ指摘したことがあった。実際にはそれは小学校での朝礼時間に私が間違えて手を上げたり担任から笑われたりしたことがあったというのが本当だったので、そのあとの別の時期の印象と合成されて“ 全員集合時間 ”というイメージになっていた )。或いは、なにかの最中に体がぶつかったり怪我しかけてとても痛かったというような、古い原因かもしれない,ある状況では呼吸が止まってしまう程かもしれない。
‘ 夢 ’に表れるものが同じ脈絡のものかどうかはわからないが、“ トラウム ”という見方にしても、私はこれを解消に向ける。
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私は一時的に“ 彼女 ”に右半身を乗っ取らせてみようとした。すると、その場で即ジョギングといったように素早い両足の踏みが起こった。

2018-07-04:
私の両足は私が私の本拠を取り戻せるかどうかに懸かっている。

まるで夕方どきも無かったかのように、いつにも無く、しんとした晩だった。朝,私が“ つるま ”図書館に再度おはなし側からクレームを付けた( 利用者として、不審な名義名札を使う受付係員たちに要らないと、
[ 図書館業務の係員たちが利用者たちの前で言い替えをしたり利用者向けに仮の名称等を通例化したりするのは違法ではないか? ]
,これ以前からの繰り返し苦情等にも返答が無かったことも含めて )。私はかつての実存性とその反転ぶりを同時に考慮しながら、なるべくきれいな言い方として一枚分まとめてみた( 5館に同時にコピー配布するという彼女の案 )、しかし私はもう書かなかった。私には具体性は無い。
[ “ その子 ”という代金は必ず払拭される。より演算的に見ようとすれば、私はお掃除係を問うことはできなかった。私が名古屋市に図書館業務自体の( 利用者としての )障害点を補償してもらえるか。 ]
私が2Fに上がってみるといつもの係員たちではなく、違う2人だけがいた。そこもまた不思議に誰もいないかのようにしずかだった( それは私自身のものごとをかえりみないひとときだったのだろう。私は偶然の経緯いきさつということには考え無かった )。以前にも私がおはなし側で理性的にかなり説いたあと、そのように顔ぶれが代わったということは当然のようにあった。

次号: “ 影 ”を視る,04,7-2018 (2)