目覚め( 光とインヴェンション )

2017-02-08:
私ひとり回復するためには、私ひとり行動できる機を増やす。
今夜( 今朝 )予めルートのイメージがあると私の本番には障る。
( 昨日まで私は唾を吐く度にそれが左寄りに跳ぶので‘ 私の体が偏っているな ’とは思った。しかし、先程それが中心に修整されたようである。
私は自転車に出かけようか半時間おもいかけて後、私自身の中に訴えるものを一々‘ はい ’と言わせようと、何年も前のように私自身の両頬を殴り付けながら命じた( 今これを書いている時点では、それがどんな内容だったか分からない )。ある他者にむかついた!というような大ウソよりは私自身の責任が傷に変わりにくいのだろう。
私には体力作りよりも例えば幼児からの恨みごとをそのものとして吐き出すような原初的方法がいいのかもしれなかった。路傍の子たちが言語的に説明できなかったとしても私自身に一々その投影を訴えていたという見方も無くは無い )。

六面体パズル修整また1日間に合計数時間から小1時間ほどだった。六面全部がいっぺんにみえないと8ピース等の入れ替わり方が把握されない。詰まらなくても論理回路が伴っていないから、揃った!と言っても偶々だ。
もし私が“ 六面体 ”という幻覚でなく最初からこれ一体として扱えたら私は私自身に苦役くえきとは言わなかった。

2017-02-09:
私の中のなにかが‘ 聞くこと ’をやめた。30以前の私に戻るなら、前半ぜんぜん偽り同然だった。私は私の‘ やりたがり ’を容認しなかった。以前一度こう書いたのを私は憶いだせるのだが、生殖的欲と偶像とを利用するという文脈が私の良心的な対立という問題と完全解決されなければ、この口どう言い訳したとしても無理だった。( 私は生殖欲に利用しない )。
私は一昨日メモに私の教訓として{ 科学的探究心と良心とは擬人化されていても決して私から分離するものではない。 }と記した。他者や世界に関するイメージとは自身からの偶像・幻想に過ぎなかったもので、わたしが予め“ 人 ”という文脈を信じようとすればそれらは“ 人 ”という形自身だった。Cカスタネダ・ドンファンが語るシリーズに“ 鋳型 ”と書かれてあったのは、おそらくそのような複製を言ったものだろう( 溶かして元に戻せるなら )。
書くという作業が‘ たずねること ’と同義であったのなら、私の‘ 訴え ’は無為だった。

今朝よくない夢には室内に‘ 障害児 ’のような者が私の部品等( ボルトやワッシャーなど )ばらまいたりした。私は関われなかった。その室内の一方に長方形の氷のようなものが床にはめこまれたようにあってそれがその床下から透けてみえるような非常に美しい青色だった。私はそこに寝そべってそれ自体を覗いて見ようとしたが、その底の下にはもっと深いところに水かなにかがあってそれが前面に青色に映っているようだ。‘ これ( この氷 )がこちらの体を支えるには余程分厚いものでなければいけない筈だ ’。

2017-03-23:
‘ わたし起きている ’は消極的だった。

先週土曜日わたしは一度メモ記録しながらアップしなかった:
{ まえの朝“ Yd川橋・Yd駅 ”付近で視たような町通りの光景イメージ[;町の向こうにドーム球場の白い屋根がみえる ]それから( その光景自体とは関係無しに )単一の黒い影みたいなものが立ち上がる、ある別のなにかが擬似的に“ 影 ”として擬装されているというような。〔 たぶん連想的に( 静止画 )“ エヴァンゲリオン ”のシンジが街の遠景上にその両目を閉じてひとり歩きだしたような処 〕。
“ 影 ”はエヴァンゲリオンでは首都来襲には直接描かれなかった( “ 虚数の海 ”というような言い方はあった )。むしろそれは人物的キャラクター表示以前のシルエットという最初の絵であった。
偶像や擬人的な視線というものが否定されれば“ そこ ”に色合いは無い。 }
:怪獣とウルトラマンの正義ごっこ( 街道というものがあるからそこにうろつくような不審者がいる、では取り締まろう ),“ 影 ”だった。この“ 街道 ”をロンドン-パリと言い替えても同じ。

私自身には今更ユング心理学的な説明のやり方も無い( むしろ私は視覚的な幻像としての“ 影 ”現象に説明を付けたかった )。しかしオーソドックスな“ 分身 ”の問題は先ずそれだった。

2017-03-24:
午後夕方ふしぎな夢があった。
“ 私 ”は電車に乗ってどこかに行くいう途中で降りた。誰もいない河川敷・堤防みたいなところで、普通にカジュアルスーツ姿の婦人のような者が同時に降りたかのようにそこに歩いていたが、短いひとり言の内に“ ニシオ ”と口に出して言った。〔 私は一度もその顔を見なかった 〕。
河の向こうに一面きれいな森のような光景。河の縁に見下ろすと( 水は河とその隔たれたような部分とに分かれていた )その水辺に砂がみえるのだが、その幅に急に水深があるようで、その砂地の見えなくなる辺りにやや赤茶に濁ったような暗さがあった。幼児たち3人がその水浅い砂の上を歩いていた。私は彼らが深みに入ったりすると溺れるからと警告しかけたが、彼らは帰るところなのか砂の上をまっすぐに歩いていった〔 その場には気付かなかったが、水の流れは無く、砂上の姿にも水やその影が撥ねるような映像的印象はまったく無かった 〕。
私は堤防を越えてその向こう側に下りてみた。私は暗さに気付いて私の右手に携帯用ライトを点けたが、その電池残量が足りない。その堤防には幾つか土に直接付けられたような狭い階段状の跡( 下生えの間 )と、小さな道路のように舗装された町への入り口のような斜面があった。私はその急勾配を下りてそのすぐ近くに町内通りの一部分を視た。ちょうど角の一軒の前に町名表示の漢字等がみえた。
〔 なんという町名だったか、直後-寝床ではもう想いだせなかった 〕。

もし私が‘ 夢だ ’と明確に言えたら、その場にもう少し見れただろう。

自転車ルート・地図データとのメタが成り立たず、私の記憶にうまく整理できないので今朝しずかな時間帯にの‘ きも-ためし ’断念。

2017-03-25: 
うんどうルート筋道化のために交差点名などを結び付けようとするうちにまた4時過ぎ,先ず私が夢見の実践に的確に応用できなければすべて灰塵だ。
昨日の夢にも私の夜トレーニングが足らなかった。今これを書いたら不意にまた路上夜景の印象があった。

2017-03-26:
4時過ぎ、小雨の止まない中をゆっくりとN川区まで。そらがあかるんで通行人があったりするのでひとり深夜ツアーの面白味は無かった。
朝食の最中に私の視界になにか黒い細い線のようなものがちらついた。私は食べ物に髪の毛が着いているのかと視たが、一瞬それは直線のようだった( 繰り返し )。そのときの音楽はデヴィット・ボウイ“8行詩”( 県図書館に偶々“ハンキー・ドリー”一枚があったので )だった。意味不明だった。