光 ( 前兆 )

2016-06-06:
光は内側からだ。私の視る夢には外的日光の場面は少なかった。以前一度だけ、まぶしい陽光を遮るようにしながら視る夢という夢の始まりでは‘ 夢だ ’という場はあった。しかし、そこでわかったのなら、その‘ 陽光 ’に対して私の意識があったに違いない。
‘ 発見 ’のきっかけは、そこにあたかもあった筈のもの( 私のライト光またはそのデヴァイス )が見当たらないという処にあった。私は以前‘ ラーメン一杯 ’が次の一瞬にその鉢の中に残り少ないのを視て‘ 夢だったのか ’といった。私は最初にそれについて書こう時にその理由付けが無かった。私は夢記録には‘ そこになにがあったか ’を書いたが、‘ そこになにが無かったか ’とは考えなかった。そこに有って当然のものが見当たらないというときに、手前に意識される。だが、それは? 

私が両眼を閉じて休んでいるあいだに連続5つ雷光みたいに私の頭左側に瞬きのようなものがあった。

昨夜私が自転車に取り付けた筈のスプリング1個、ひとつきり( 朝方の一瞬のイメージ・夢 )。
〔 そのスプリングの実物は私がその自転車前後のブレーキ部分等にLED等を(100円ショップの着火ライターに組み込まれていたそのパーツ毎と流用 )付けるために取り付けた。ブレーキレバーとバネの加減に拠りそのLED・電池等が通電する 〕。
残念ながら私がその部品のイメージ自体に対して夢だと判断するのが遅かった。

私は私自身一致したときにだけ‘’の状態をみることができる。

2016-06-08:
おはなしに対することは一致を不可能にする。詰まりこれらはすべて‘夢見の実践’のためでなければ無意味・無価値だ。